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サムシング職業病

つれづれ

英国王のスピーチ』の興奮さめやらぬまま1日を終えてしまった。そして1920年代から30年代にものすごく魅力を感じ始めてしまいました。やっぱり近現代面白いわー。機械や技術が進歩しすぎて,当の人間がついていけないという図が面白くてならない。そもそも王がスピーチなんてものに悩まされなければならないのも,ラジオをはじめとする放送技術なんてものが現れてしまったからだし,しかもそれが普及してしまったからだし。またパンフレットでは精神科医の先生がローグの吃音に対するアプローチについて,「彼の卓越性は,『言葉が出てこない』という現象の裏側に,大きな感情の問題が巣くっているのを最初から見抜いていたこと」と書いていらしたが,ではどうしてローグが吃音や失語と精神の関連に気づいたかって,それはおそらく第1次大戦から帰還した兵士のシェルショック*1を目にしていたからである(ODNB参照,映画でもちらっと言ってますが)。あー,やっぱり近現代史である。中でも面白いのは2度の大戦ですよね。特に第1次大戦は今,結構熱い視線を浴びている。あの先生もこの先生も第1次大戦のことをやっていらっしゃる。私もやりたーいー。第1次大戦とシェルショックとアイルランド人の飲んだくれについて研究しようかしら。たぶん関連あると思うのよね。でも何と言って説明しよう。「修論では1880年代のアイルランド語復興運動について研究しました。博論では第1次大戦とシェルショックとアイルランド人の飲んだくれについて研究しようと……」。
こうして歴史ものの映画やドラマを見た時,自分の研究とどうにかリンクできないか考えるのは職業病の序の口である。職業病,などという偉そうな単語は少なくともその職業に精通してから用いたいものだが,さすがに博士課程にもなると,それとおぼしき症状が見え隠れしたりする。たとえば,

wordで何か新規作成しようとするとき,トップに現れる「文書1」が「もんじょ・いち」にしか読めない。

のはもう修士課程か,下手すると学部生の頃からだが,最近ではそれに加えて

誰かのメールや発言を自分のメールで引用しようとするとき,「そういえば○○が,今度[みんなで]飲もうってー」と,[]で補足しようとする。

などという症状まで現れ始めた。やらないと気持ち悪くて仕方ない。しかしこういうの,症状こそ違えど,たぶん専攻ごとにいろいろな「職業病」があるのではと思われる。今度みなさんで語らいましょう。
それにしても今日は寒かった。実家では雪が舞っていました。雪がやみかけた頃を狙ってモッズコートを着て耳当てをつけて犬の散歩に出かけたのだが,途中で吹雪になってしまった。もはや気分はスターリングラードの戦い。

*1:Shell shock,戦争神経症