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文学部HPがちょっと素敵であるということについて

つれづれ

な,なんと工学部はこのたびの震災の影響で5月に授業開始とな。文学部は予定通り4月なんでしょうね。そう思って文学部HPを見ると,まだ何も通知は出ていなかった。工学部は実験器具とかに支障が出ていたりするんだろうか。
それにしてもびっくりしたのは,文学部HPの面白さである。なに,なにこれ。今回の震災関連では,なんといってもmessages of solidarity。文学部に関係のある海外の研究者や作家の方から届けられたメッセージを,おそらくは現代文芸論研究室の院生さんたちが総力を結集して翻訳した力作です。すっすっすごい。オルハン・パムクからメッセージが。ワルシャワ大学日本学科長エヴァ・パワシュ=ルトコフスカ教授のメッセージは原文日本語で届けられたのだそうだが,これ,そこいらの日本人よりもよっぽど素晴らしい日本語じゃなかろうかと思う。パワシュ=ルトコフスカ教授でなくても,ここに載っている文章はどれも美しいものばかりです。文学部でよかったと思った瞬間であった。
あと,これから進振りを控えている駒場生向けの「エッセイ 私の選択」がいちいち面白い。私はほとんどの場合,小説にしろ論文にしろ,なにか文章を読む時には最初の一文で面白いかそうでないかの予想をつけているのだが,文学部の先生畏るべしと当たり前のことを言うべきなのか,最初の一文の引力がものすごい。「夏目漱石がずっと好きだった。」「実を言うとなぜ西洋史に進んだのか、いまだによく分からない。」「ラテンアメリカ文学では食べていけませんよ、といきなり言われてしまった。」これらが私のお気に入りである。中でも面白く,またその専攻の学問についても興味を持たせる,ガイダンス資料としての条件を完璧に兼ね備えているのは英文学の阿部公彦先生による「「私の選択」と題して阿部公彦先生にいろいろインタビューする会」。

たとえばですね。村上春樹の小説ですぐに「やれやれ」とか「退屈だぜ」みたいなセリフが出てきますよね。そういうのが気になって、「どうしてこの人はすぐやれやれって言うんだろう?小説のストーリーと関係あるのかな?社会的な背景と関係あるのかな?村上春樹本人も家に帰ると、すぐ『やれやれ』って言ったりするのかな?」なんて考え始めたら、それは研究の第一歩なんです。

それから今年の文学部総代の卒業式答辞が載っていた。これ,私はすごくいい答辞だと思いました。妙に難しい言葉を使ったり,また妙に名言じみたことを言おうともせず,自分の言葉で話している。「自分の言葉で話す」って,実はなかなか難しいことなんじゃないかと思うんですよね。特にここが素晴らしいと思いました。

……不確かさは、むしろ古典の豊かさにつながっているのではないか。だから、正解がひとつではありえないということは、私たちにとって絶望ではなく希望なのではないか。
<中略>
あまりに楽観的な発想かもしれませんが、社会が世界の不確かさに震えているとき、不確かさから直接希望をくみ上げることができる文学部の役割は、たとえすぐに効果が期待できなくとも、今後ますます大きいと信じたいのです。

スピーチで,日頃考えていることをそのまま言う場合なんてあまりないかもしれない。これももしかしたら,「口先だけの言葉」に過ぎないかもしれない。でもそんなのいいじゃないですか。言葉より行動なんて人は言うけれども,私は行動と同じくらい,言葉も信じたいです。