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わたしを離さないで

映画


原作を原書で読むまで行かない!という最初の素晴らしい決意はどこへやら,このところの多忙にまみれて結局読書は延び延びになっており(でもちょっとずつ読んでます),映画も公開されてもうすぐ1ヶ月が来る,こんなだと間違いなく原書を読み終わるまでに映画の公開が終わってしまう,結局焦って見に行ってしまいました。ああ,待てない女。
なんだか,なんというか,衝撃的な映画でした。話の筋はもうわかっているので,内容が衝撃的なのではない。奇跡的な映画ですらあったような気がする。見ている間ずっと胸に手を当てていないと,苦しくて耐えられなかった。動悸が激しくなったり締めつけられたり,ものすごく忙しかった。
設定では1950年代に医療技術が飛躍的な「進歩」を遂げ,60年代にはすでに人間の平均寿命が100歳を超えていることになっているから,この物語が始まる70年代にはもう「そういう世界」が当たり前のものになっている,ということに注意しておかないといけないのだろう。この映画において最初の衝撃的なシーン(原作を読まずに映画館に行った人にとって)はなんといってもルーシー先生が授業中,生徒たちに彼らの運命を話すシーンなのだが,そのときも生徒たちは取り乱したりせず,割合落ち着いて話を聞いている。この世界のシステムは私たちから見れば残酷極まりないのだが,それも「私たちから見れば」であって,彼ら自身にとっては普通である。まずはそこで想像力を働かせないと,この物語は全然別物になってしまう気がした。映画が終わった後,「えっこれって実話!?」という声が聞こえ,いやそんなわけねーだろと思ったのだが,確かに突拍子もないSFといった趣の描き方はしていなかった。実話と見まごうばかりであるなら製作者側の大勝利である。
映画ではコントラストのある描写が特に素晴らしかった。ヘイルシャムでの生活より,ヘイルシャムを出た後のコテージでの生活が彼らの「人間性」をより鮮烈に描き出しているのだが,私たちはそこまでを見て,「寄宿学校で知り合った男女のそのあとの感情のもつれ」みたいなものに強く印象付けられ,残酷な現実を忘れてしまう。しかもそれは前述のルーシー先生の話のシーンの後であるにも関わらず,である。しかし容赦なく時は迫り,「終了」の時が訪れる。
特筆したいのは,「猶予」に際しての彼らの反応である。彼らは「終了」を前にしてもただただ運命を受け入れるのだが,「ヘイルシャムの出身で,本当に愛し合っているカップルには『猶予』が認められる」という噂が微かな希望をもたらす。「免除」ではなくて「猶予」というのが,私たちの目から見ればそもそも残酷なのに,彼らにとってはこの上ない望みになる。キャシーたちはヘイルシャムの出身だが,そんな話は聞いたことがなく,コテージで知り合った別の寄宿学校出身のカップル,ロッドとクリシーに聞いて初めてそれを知る。ロッドとクリシーはおそらくは自分たちに適用されないかと思って聞いているのだが,キャシーたちにそんな話は聞いたことがないと言われ,クリシーは静かに涙を流す。この泣きの演技が素晴らしかった。なんでだ,と憤るでもなく,やっぱりそうかと受け入れつつも,やはり期待はしてしまっており,それをどうなだめていいかわからないという感じ。しかし聞いたこともない「猶予」の噂は,キャシーたちにも確かな希望をもたらす。同じく「猶予」の可能性と真剣に向き合った時の彼らにはもう心をえぐられるものがある。自分にではなく,キャシーとトミーにその希望を託したルース,「猶予に足る価値があると認められなければ」と一生懸命「マダム」に見せる絵を描き始めるトミー,「マダム」を訪ねて真実を知った時のキャシーとトミー,そしてその帰り道のトミーの叫び。静かに淡々と物語は進むのに,このあたりはもう心の準備が追いつかず,ものすごく苦しいのをようやっとなだめて見ていた。
それから「終了」にあたっての彼らは,もはやこれは物語というより俳優の演技力の問題なのだが,凄まじかった。「終了」を迎えた時のルースは完全に「抜け殻」といった感じだったし,「終了」になるであろう処置に向かうトミーは最後まで窓越しのキャシーに笑顔を向けながらも(この笑顔がもう),その体はものすごく乱雑に扱われていて,彼らが「もの」でしかないのだということを否応なしに実感させられる。医療倫理に問いを投げかけるのがこの物語の本来の意図ではないとしても,ここではどうしたって考えてしまうのだが,何を考えるよりもエミリー先生の言葉が最も端的に語っているだろう。「ガンや神経症のある世界に戻りたいかと聞かれたら,答えはノーだ」。しかし同時にこの言葉は,なにも持たなかったはずの者が,一度なにかを手に入れてしまうと二度と手放せなくなるという点で,物語の本質的な部分を突いているように思う。医療の「進歩」を元に戻すことは絶対にできないし,あるいはプライベートな人間関係にしても,「なかったこと」にすることは絶対にできない。人のものになろうとしていたら惜しくなるし,そこに一縷の望みでもあれば,すべてを託してしまう。「捨てられない」「手放せない」/「捨てられたくない」「手放されたくない」(←Never let me go)のは人間の弱さであり,また同時に「人間性」の最たるものでもある。
書きたいことはおそらく他にも色々あるのだが,いや,とにかくこれはご覧になった/お読みになった方がいいです。映画では何と言っても,俳優たちの演技が圧巻。特にアンドリュー・ガーフィールド,とんでもない怪物である。それからこの映画は絶対にひとりで見た方がいいと思う。デートムービーでは絶対にないし,友達と一緒に見るものですらない気がする。見た直後に安易に感想を言いあったりしない方がいい。私は基本的に映画をひとりで見るので,このあたりは成功だったのだが,唯一の失敗は,これをゼミの前なんかに見てしまったこと。悶々としてしまいました。

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

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