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英語ではcobwebとかfogとか言うらしい

学校

ゼミのあと,次回のゼミ発表(文献輪読)のお声がかかった。全く専門ではないなんてことはこの際いいとして,断るのは簡単だがやってやれないこともない,というのが逆に判断を難しくしている。かといってこのあたりの日にちはアイルランド語教室やらIELTSの試験対策講座やらが密集してもいて,2つ返事で引き受けたらのちのち痛い目に遭いそうな気もしないでもない。というわけでゼミオーガナイザーの後輩には,「判断保留とさせてほしい」という,最も長引くお返事をさせていただいた。彼も面倒だろうが私も面倒である。ゼミ発表そのものが面倒なのではなくて,考えることが面倒である。優柔不断に傾きがちな人間は,敢えてさっさと決断してしまった方が早いことの方が多い。そうすればよかったと若干後悔してもいる。
そんなベーシックな部分でのモヤモヤを抱えながら次なるゼミで発表(水曜日はゼミが2つ連続する)。短い論文だったのだが,結局なにやらよくわからないところもあり,あるところはゼミで理解できたがあるところはやはりわからなかった。トランスナショナルにインターナショナルにグローバルに,要は歴史をどう見るかという視点の問題なのだが,やっぱり近現代の世界というものは複雑です。アカデミック・モヤモヤも加算されたところでゼミのあと文学部図書館へ向かい,図書の取り寄せ手続きをしているところへ,友人と遭遇。そして婚約のご報告を受ける。このところ同年代女性と先輩男性を中心に慶事続きで,本当にさして驚くことがなくなってしまった。さして驚けないというのはすなわち,素直に喜べないということにも間接的につながったりする。こういうことを書くと女の情念と早とちりした男性がとても喜ぶので念のために書いておくと(男性は本当に「女の争い」を見出したがりますよね),その子が嫌いとか,決してそういうわけではない。ただ単純にこういうご報告は,翻って自分のこれからの人生について否応なしに想いを馳せるトリガーになってしまうというだけである。しかしこうしたことが私も年頃の女性なのだなということを知らしめてくれもするわけで,なかなか感慨深くもありますね。いろいろな気分に似つかわしく,宵の空は曇天であった。