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縁結びの作法

つれづれ

「○○さんとの縁をわたしにお授けください。でも,もしそれが間違っている場合には,正しいご縁をわたしと相手にお授けください」

以前どこかで,縁結びで祈るべきことというのはこういうことだと読んだ気がする。
しかし世の多くの女性(わたし含む)は縁結びにあたって,

「○○くんがわたしを好きになってくれますように,○○くんと付き合えますように,そして将来は○○くんと結婚できますように!キャッ!」

くらいの執着ぶりをばっちり発揮しているはずである。「もしそれが間違っている場合には」なんて考えたくもないし,ましてその場合に「正しいご縁」を「わたし」に授けていただくのはいいとして,なんで「相手」が「正しいご縁」であるところの別の女性とくっつくことまでも願ってやらなければいけないのか。わたしは聖母か。おそらくそれくらいに偏狭な気持ちになってしまっている。好きな相手がいるわけでもなくミーハー心で縁結びスポットに行っている場合を除き,「仮想敵」ならぬ「仮想縁結び相手」がいる場合はほとんど確実にそうなっているはずである。恐ろしい。傍から見るとその女(わたし含む)の顔は,般若一歩手前の泥眼くらいになっているかもしれない。泥眼,怖いですよ。下手すると,すでに生き霊と化している般若やら生成やらよりよっぽど怖い(とわたしは思う)。そしてそんな「泥眼」状態であろう方々の書いた恐ろしい絵馬をつい拝読してしまったりするのだが,その執念に震えあがりながら「恋愛は相手あって成り立つもの」と自戒するのである。
しかし片想い中は泥眼でもまぁ仕方ないとして,困るのはそのあとである。幸いにも付き合えたとして,破局した場合。もしくは片想いのままで終わってしまった場合。そんな時に「○○くん」と特定した相手との縁を願ってしまった事実はどうなるのか。モノを対象とする通販ですら,注文してしまった後の変更は原則的に受け付けられないのですよ。まして相手は神仏である。数年前訪れて必死で拝んだ神社仏閣に対して「すみません,あの時はあの人相手にご縁をお願いしたはずなんですが,今はこの人なんで,あの人キャンセルしてこの人に変更お願いしまーす」とか言えるのでしょうか。たぶん言えないと思う。そしてもしかしたら神仏が忘れていた,もしくは後回しにしていただけで,もう今は望んですらいない過去の相手との間に「ご縁」が結ばれたりしたらどうしましょう。運命か。それとも運命は自分で切り開くものなのか。
実はこんなしょうもないことをたまに考えてしまうのです。25歳も中盤にさしかかり,わたしの手元には結構な数の縁結びお守りが集結している。しかも,台湾は月下老人に始まり,出雲大社,八重垣神社,貴船神社など,名だたる縁結びの神々による夢の競演状態。We are the worldみたいですね。このうち特定の相手がいないまま気軽に祈ったところは……ううう。なのでやっぱり,冒頭に挙げた祈り文句(?)は正しいかもしれない。特に片想い中の,桜子さんに言わせれば「とち狂っている」最中はなおさら。今度からは絶対にそうしよう。うん。
というわけでとりあえず,正しいお祈りの作法を踏まえたうえで,東京大神宮に行きません?どなたか。