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キラキラ感!

つれづれ

どんなオープンキャンパスでも見られないキラキラ感!

電車の中で見かけた,東京国際大学オープンキャンパス案内広告の中の一節である。実際に行った学生の声という形で,確かこんな文言だったと思う(正確には忘れた)。いや,いろいろ言いたいことはあるのだが,なんていうか有無を言わせぬ強引さもここまでくると強力な魅力となります。「キラキラ感」だなんて曖昧な,絶対に東京国際大学独自性ではない(ここがポイント),しかしなにか眩いひと言で表される東京国際大学オープンキャンパスとはどんなものなのか,ぜひ行って目撃してみたくなるじゃないの。広告効果とはつまり,そういうもんだと思う。

……キャッチコピーを例にとると,片岡義男によればコカコーラが初めて日本に輸入されたときの宣伝文句は「飲みましょう」だったという。それが「すかっとさわやかコカコーラ」を経て「アイ・フィール・コーク」へと進化(?)していったわけだ。「飲みましょう」の意味はわかる。ここでは言葉はその意味に対して等身大である。「すかっとさわやかコカコーラ」の意味もまあわかる。だが,ここにはコカコーラが口の中だけではなく生活全体をさわやかにするような奇妙な増幅感が生まれている。言葉は等身大の意味を離れてイメージ化しかかっている。そして「アイ・フィール・コーク」になるともはや殆ど意味不明である。そして意味の明確さとは無関係に支配力を持つところがイメージの怖さなのだ。考えずに感じてみようという誘いの背後にはイメージによる判断停止の意図が感じられる。最近年の「No reason」というコピーはその極まったかたちだろう。一方,「飲みましょう」の意味は明確だが,現実にはそのコピーはとっくに支配力を失っている。「飲みましょう」と云われて「はい,飲みます」と頷く日本人はもはやどこにもいないのだった。 (穂村弘『もうおうちへかえりましょう』105-6頁)

それにしても,もはや「言ったもん勝ち」の様相を呈している。東大ももし車内広告を作る必要が生じたとしたら,いくらでもなんとでも言っていいらしいことが証明されたことになる。「どんなオープンキャンパスにも見られない卓越感!」とかどうでしょうか(2004年度入学式・佐々木元総長の式辞より「卓越」を引用)。いや,でもそれはあまりに普通すぎるか。「キラキラ感」に負けずとも劣らない文言は何かないものか。
ちなみにここまで書いて思い出した。ミッツ・マングローブの芸名は,もともとのあだ名である「ミッツ」に加わることによって「想像力をかきたてる夢のような言葉はないかしら」と探し,「マングローブ」が採用されたそうである。マツコ・デラックスも,芸名の候補として「マツコ・ロワイヤル」や「マツコ・インターナショナル」などが考えられていたらしい。他にも「ダイアナ・エクストラヴァガンザ」など,そっち系の方々はこういう広告効果をフルに活用していらっしゃいますね。これぞ「キラキラ感」。そう,「なんかわからんけどとりあえず言ったもん勝ち」ということに気づいたのはお手柄として,「キラキラ感」なんていうそのものの言葉を採用してしまったのはちょっと勇み足だった感もある。大事なのはおそらく,ミッツ・マングローブが言う通り,「想像力をかきたてる」ことなのである。うーん,深い。