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反省

ピアノ

今日の演奏はおそらくわたしのピアノ歴3本の指に入る大失敗でした。ちなみに残り2つはバラード3番(M1の1月演奏会)と,あとはバッハ(小4のコンクール)かスケルツォ1番(2年の1月演奏会)のどちらかといったところ。もしかしてワースト3を独占しそうな勢いであるあたり,わたしがいかにショパンを苦手としているかが明白である。
さて,バッハかスケルツォかどちらがランクインするにせよ,これらの失敗で共通している原因がひとつある。出だしである。少なくともわたしの場合,本番の失敗を練習不足に帰責するなんてことは絶対にできないのです。もしかしたら出演者の誰よりも練習しているかもしれないわけだし(練習時間という点では)。で,出だしで何をとち狂うのか。わたしは今日までその原因を誤解していたらしい。本番の直前や本番で,出だし(や,最初の1ページ)の音が急にわからなくなってしまうなんてことはよくあることである。わたしはずっと,それこそ小4の時から今まで,最初1ページは少なくとも技量的には一番弾けるところであるため,それを軽視してしまうのが出だしでミスをする原因だと思い込んでいたのであった。しかし今日よくわかった。たぶんこれは,音を出すまでに確固たるイメージを作れていないことに原因がある。そしてわたしはきっと,練習といっても指を動かして音を出す練習ばかりに気をとられて,イメージトレーニングのような,いわば「練習時間外の練習」みたいなものを疎かにしてしまっていたのだと思う。
と,ようやくここまで咀嚼できたのでやっとこれが書けるわけですが,だいぶきつかったのです。実は。演奏会の後同期と食事に行き,彼らと別れて電車に乗ると涙が出てきてしまって,家に帰るまでずっと,いや家に帰ってからもしばらくむせび泣いていたほどで。20歳半ばを過ぎてからの失敗というのは結構骨身にしみます。本業でないピアノで,しかもサークルの演奏会で失敗したことくらい,傍目に見れば大したことはないし実際そうなのだが,もうここまでくるとピアノはわたしのアイデンティティの根幹にあるものであるわけで,しかも数か月やそこらの練習で本番に出したわけでもない曲でこんなに失敗すると,もう何か全否定されたような気分になったわけです。それに「ショパンが苦手」というのがどうも,やっぱりピアノを弾く人間としてのプライドに関わる。たぶん「バッハが苦手」と同じくらいに避けたい苦手意識である。さらに,失敗したという事実そのものもそうだが,間違えながら最初に思ったことが,わざわざ青砥まで来てくれた同期やずっと指導してくださっていた先生や,いろんな人に対して「申し訳ない」ということだったこともショックだった*1。心優しい同期たちは,そんなのでも「聴きに来てよかったよ」と言ってくれました。あと,後輩くっちゃんも茫然自失として控室に戻ろうとするわたしに「よかったですよ」と声をかけてくれました。みんな本当にありがとう。P会に入ってよかったです。
まぁでも,ひとつよかったことがあるとすれば,小さくまとめて満足はせずにすんだ,ということでしょうか。今回成功していたら,もうこれでバラード1番を弾こうとは思わなかっただろう。いい機会を逃してしまったのはまことに残念だが,おかげでまたひとつ,是が非でも再挑戦したい曲ができました。ちょっと寝かせて,また今度ほとぼりが冷めた頃に,できれば留学してから一時帰国中なんかに演奏会に出るような機会があったら,その時にでも弾かせていただければありがたいです。ショパンがピアニストを惹きつけてやまない理由も,ようやくわかってきた気がするのです。

聴きに来てくれたなおちゃんが貸してくれた。ノイマイヤー版『椿姫』。実家で堪能させていただきます。

*1:どのようにショックだったかはうまく言えないのだが,自分の器の小ささが露見したようでショックだったのだと思う。間違えた瞬間に自分がどう見えるかを気にするなんて。