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信用の問題

勉強

人は無意識のうちに嘘をつきます。人は無意識のうちに自分を良く見せようとします。そういう意識を持って読まないと,特に史料が多くなればなるほど,信用なんてできたものではない。わたしの少ない経験からだと,そういう意味では回顧録が一番怪しい。「あの時こういうことをしたのはこういう目的があってのことなんですよ」「ああなることはわたしにはちゃんとわかっていましたよ」等々,(そうとはっきり言わないまでも)弁解と虚栄の数々がありありと現れており,そういうのを読むにつけ,結局人間というのは,自分や自分が関わったことについて決して悪くは言わないんだなということを思い知らされます。逆に信憑性が高いのは,即時的かつ客観的な単なる「記録」でしょうね。議事録,新聞(ただしカラーはちゃんと知っておかなければならないけど),ちょっと順位が下がって日記,という感じでしょうか。
なぜいきなりこんなことを書いたかというと,割と斬新な考え方を提示していて好きだった研究があったのだが,それを読み進めていくと,あまり信用のおけなさそうな史料を無批判に(これが一番いかん)鵜呑みにしているかもしれないような記述があったのでがっかりしているというわけです。どうやら文学畑の方の研究なので,あまり史料批判に厳密でないのかもしれないが。困ったなぁ,これは動向論文でスポットを当てられると思っていたのに。
ところで。ゆみこ嬢の先見の明の通り,こちらの日記に「○○ 読書感想文」などで辿り着かれる方が急増している模様です。そうか,キッズの夏休みはもうすぐ終わるのか。感想文のヒントを提示してあげられないのは残念だが,もし,万が一,ネットで適当に拾ってコピーペーストして提出しようと考えて検索したような方がいらっしゃるとしたら,悪いことは言わないからやめておいた方がよいです。本当にそのつもりでインターネットを徘徊していらっしゃるとしたら,剽窃のモラルを説いてもたぶん無意味だろうから他の点を述べますと,その人の文章じゃない文章って,一読してすぐにバレます。思った以上に文は人を表します(だからこの日記をお読みになった方が嫌な印象をお持ちだとしたら,申し訳ないがそれはわたしが嫌な人間だからです)。だったらせめてあとがきだけ読んで書いた感想文の方が,まだ印象がよいというもの(ただしその場合も,「この人あとがきだけ読んだな」っていうのはすぐにバレますが)。それに小手先で読書感想文という義務を逃れたところで,すぐにまた文章を書く機会は訪れるし。なのでどっちかといえば,せっかくの課題を最大限に利用して文章力を身につける機会に変える,という前向きな方向で考えてみるとちょっと楽しくなる……かもしれない。