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砂の器

読書

砂の器 (カッパ・ノベルス 11-9)

砂の器 (カッパ・ノベルス 11-9)

ドラマを見てわかりやすく読みたくなった。本は実家にずっとあったし,読んだつもりでいたのだが,一度もちゃんと読んだことはないらしかった。「知識として知っている」レベルの作品であったようだ。
こうして原作をじっくり読んでみると,のちの映像化作品において(と言ってもわたしが見たのは2004年版と2011年版だけだが),おそらくは読者の物足りなさがいかに補われているかがよくわかるというものである。なんといっても原作を読んでいる限りでは,和賀英良の人物像がいまいちよく見えてこない。和賀よりは同じヌーボー・グループの関川の方が,よほど人間らしく感じられるほどである。和賀が例えば関川のように,周りの人をすべて見下す傲慢な人間であったら,いわば殺人をゲーム感覚で楽しむような手法にも合点がいくと思われるのだが。映像化作品で和賀が生き別れた父を思って泣き崩れたりするシーンが多く挿入されているのもうなずける気がする。たぶん読者はそういうのが見たいのだ。超音波殺害という方法も,わかりにくいから省く作品が多かったようだが,その前にトリックとしてなんとも気にくわないところがある。
それにしても,関川のようなあまり頭の良くない批評家が属すヌーボー・グループが日本の文化界で注目を集めているというのもおかしい気がしてきた(本筋から外れまくっているが)。「(同じグループの和賀に対する辛辣な批評について)こんどの,あの批評だって,関川さんの演技がいっぱいですわ,つまり,自分の仲間でも,おれの筆にかかってはこうなんだぞ,という力みが見えるんです(262頁)」と和賀のフィアンセ田所佐知子がその慧眼で見抜いた通りで,たぶん関川は批評のために批評をしているというか,みんながいいと思うものに欠点を見出す批判眼を持っている俺すごい,と思っているだけの,実はしょうもないダメ批評家である気がする。恋人恵美子の妊娠にひるんで(ダメ男の証左)和賀の殺人マシーンの力を借り,その結果和賀にものが言えなくなって阿諛するような批評を書き始めるのだが(また出たダメ批評家),かたや和賀は戸籍を偽造したりすることを16,17歳で思いつく天才的人物。こんなアホの友達のために力を貸してやろうと思うかしら。
個人的感慨はそれくらいにしても,トリックこそあれだが滅法面白かったのは間違いない。読者の気を遠くするような執拗な捜査の割に逮捕のシーンなどあっさりで,清張の人生観なのかと思われた。結果として無駄足になってしまったような捜査もきちんと描写されているのが,臨場感があっていいですね。それに女性の描写。やっぱり男性作家が描く女性像というのは,女性として参考になりますね(特に今西夫人)。美しい女性言葉もぜひ真似したくなるようなものばかり(わたしがいきなり「あら,まだよろしいんじゃございません?」とか「ええ,そんなところがあってよ」とか「どこの音楽会ですの?」とか言い出しても,みなさまどうぞお気になさらないでください)。民俗学に興味がある者として,方言分布が鍵を握っているのもものすごく興奮させられますね。決めた,秋の読書は清張にしよう。
ところで,この本では要所要所にハイボールが登場するのだが(第1章は「トリスバーの客」),読み始めたらどうしてもハイボールが飲みたくなってコンビニまで走ってしまった。結局ハイボールはトリスが一番おいしいと思う。