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「親が自分よりも弱くなったと思った」

余暇

新宿ジュンク堂にて,こちらの歌集『ともだちは実はひとりだけなんです』のトークセッション。平岡あみ×穂村弘×宇野亜喜良。はい,穂村さん目当てで行きました。
寡聞にして全然知らなかったのだが,平岡あみさんは現在高校生で,「女子高生詩人」として騒がれている方だそう。しかしこのキャッチフレーズはどうも「ケータイ小説」とかと親和性があって実に安っぽいのでぜひやめた方がいいと思われるくらい,なんだか早熟な色気のある歌を書かれる方でした。

土曜日も遊ぶ日曜日も遊ぶ 大人は遊ぶと疲れるらしいね

例えば,穂村さんが紹介していた1首。穂村さんはこの句の切れ目について言及していたが(「どようびも/あそぶにちよう/びもあそぶ」という若干不自然な切れ方が巧まずしてなされていることについて),わたしは「大人は遊ぶと疲れるらしいね」という幾分冷めた目線と「土曜日も遊ぶ日曜日も遊ぶ」の浮かれた調子との間に違和感が感じられることが非常に印象に残りました。もしかしたらこの人は何かから現実逃避するために遊んでいるのかな,とか想像が膨らむ。穂村さんと宇野さんがずっと「あみちゃん」と呼んでいて,なにも知らないわたしは最初,高校生とは言え仮にもひとりの作家なのだから「あみちゃん」はないだろう,「平岡さん」でしょうよ,と義憤に駆られていたのだが,ただ単に愛称だったみたいですねすみません。ちなみに平岡さん,かの三島由紀夫(本名・平岡公威)のご親族(孫?ひ孫?)にあたるのだとか。しかし三島は読んだことがないそうです。
トークの中でも印象的な受け答えがあった。これから大人になるのにあたって,「死ぬまでやりたいことがなくならないように」したいそう。それでいて「今大人だとは思わないけれど,今のままでもいいとは思う」。特に印象的だったのは,これも紹介された歌に「母よもう私を怖がらなくていい 私の反抗期は終わりました」(うろ覚えなので特に下の句が違うかも)というようなのがあって,「反抗期が終わった」というのを自分で気づいてしかも自己申告するという感覚が斬新だよねと穂村さんが話を出したとき,「ある日親が自分より弱くなったと感じた」と答えていらした。穂村さんも語っていた通り,この「もう1人の自分が自分を見る目の冷たさ/クールさ」は,あまり得ようとして得られるものではないと思う。
穂村さんと宇野さんの話の中でも印象的なものはいくつかあって,それらはやはり男女の感覚の差みたいなものを感じさせるものであった。まず宇野さんが「メイクをする」という行為について「欠陥を隠す行為」と言っていたが,これはどうなのでしょうか。欠陥を隠すという意味でも確かにあるのかもしれないし,そのためにメイクをしている方は少なくないと思うのだが,やはり化粧というのはどちらかというとプラスの意味でするものであるように思う(今より「もっと」美しくなるように,という)。また穂村さんも,平岡さんに「峰不二子を感じる」ということを言っており,その理由を「好きな相手を,『嫌いだから』という理由ではなく好きなまま殺せるという感覚」と説明していたが,だいたい女が好きな相手を殺すときというのは,そりゃまぁ愛憎もつれあってというのはあると思うが,好きだからこそ殺すのである(いや,殺したことないけど)。嫌いな相手だったら,そもそもそんな人のために手を汚したくないじゃないですか。ただし「悪と善の混在している様子がセクシー」というのは大いにうなずけるものだった。
トークセッション,はじめて行ってみたが,予想以上にすごく面白かった。今回は歌集を読まずに行ってしまったので,今度はちゃんと取り上げられる本を予習した上で行きたいものです。平岡さんの歌集も今度ぜひ読んでおきます。