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生物と無生物のあいだ

読書

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

「新書みたいな論文」「新書で使うような用語法」「まぁ新書を書くんだったらそれでもいいだろうけど」など,「新書」は空疎な研究の代名詞のようにして用いられることが多い。このように新書ってアカデミアではとかく軽視されがちなのだけど,そうはいってもこんなに優れたアウトリーチの媒体もなかなかないでしょうと思うわけです。
この頃いつも,ピアノレッスンの帰りは4年生の卒論指導のためにばたばたと学校に向かっているので,先生のおうちの近くにある好きなお店を覗く余裕がまったくなかったのだが,今日はしばらくぶりに卒論指導がなかったので悠々とブックオフなんぞによりみち。そして『生物と無生物のあいだ』『深い河』ついでに『宇宙兄弟』第15巻の3冊を入手しました。そしてさっそく今日,『生物と無生物のあいだ』を読了(『宇宙兄弟』は言うに及ばず)。高校時代「ワトソン,クリック,二重らせん,デオキシリボ核酸」云々と呪文のように唱え,ショウジョウバエの遺伝に泣いた私にも非常に面白く読めました。おそらくそれは,この本がDNAの謎に挑んだ歴史上の研究者たちの肖像+筆者自身の留学&研究記+最前線の分子生物学のエッセンスの紹介,とおそろしくバランスの取れた構成になっていることにも依ると思うのだが,一番惹きつけられたのは福岡先生の言葉の選び方が素晴らしいこと。たとえばこれ,私が本書中で最も好きな箇所。

おそらく終始,[オズワルド・]エイブリーを支えていたものは,自分の手で振られている試験管の内部で揺れているDNA溶液の手ごたえだったのではないだろうか。DNA試料をここまで純化して,これをR型菌に与えると,確実にS型菌が現れる。このリアリティそのものが彼を支えていたのではなかったか。
別の言葉でいえば,研究の質感といってもよい。これは直感とかひらめきといったものとはまったく別の感覚である。(57頁)

「研究の質感」,研究者の琴線にふれる言葉だと思いました。ある程度研究を進めて何か「見えかけている」時の感じでしょうか。これの正体もそこへ至る道筋もまだ定かではないけれど,でも絶対ここには何かある,という。そしてそういうものが往々にしてライフワークになるのだと思うし,そういうものにめぐりあえた研究者はラッキーだと思う。
ついでにこれも好きな一文。

この"オーバーナイト・サクセス"[ワトソン・クリックによる二重らせん構造解明]は彼らの前に真紅の赤じゅうたんを用意し,それは,後年,ストックホルムでのノーベル賞授賞式にまで一直線に伸びていた。(39頁)

この後話題は動的平衡の概念やノックアウトマウス研究,(数年来日本人を期待させてやまない)ES細胞研究の紹介も織り交ぜつつ,筆者が少年時代,トカゲの卵に穴を開けて覗きこんだ思い出の描写で幕を閉じる。冒頭は多摩川沿いの散歩の描写で始まるから,なかなか文学的な構成と言えると思う。あと特記すべきは,比喩と導入がとても巧みなことで,これは本当に見習いたいところ。将来新書を書くとしたらこういうのがいいなぁ,という新書にしばらくぶりに出会いました。
読み終わって思い出したこと。そういえば高1の頃,中村桂子さんを招聘しての講演会が我が母校で開かれました。この頃すでに文系志望であり研究者志望だった私は,たぶん内容よりも女性研究者としての中村桂子さんに憧れを抱いて演壇を見つめていた気がする。今思えばもったいないほどの経験でした。