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春樹が苦手

読書

昨日『アフターダーク』を読んだ。そして今日は『スプートニクの恋人』を読んでいる。のだが,どうもやはり私は村上春樹が苦手であるらしい。これは面白いとか面白くないとかとは別の話で,春樹のあの独特の比喩やらもってまわった言い方が苦手なのである。これは単純に好みの問題なので,たぶんファンには逆にあの比喩やら言い回しはこたえられないものだろうと思う。でも私にはどうしても,簡単なことを難しく難しく言おうとしているようにしか思えないのだ。そして文体の好みというのはもう,人に対する生理的感覚と似たようなものなので,一回苦手だと思ってしまうとしばらくはどれを読んでも苦手なのだろうと思う。
そして今回再確認した。昔から感じていた春樹への距離感は,やはり理由あってのものだったのじゃないかと。私が春樹を読むようになったのは本当にここ2年ほどのことで,それまで全くと言っていいほど読んでいなかったのだが,それよりもずっと前から私は多くの人が春樹に熱狂する理由がよくわからなかった。特に大学生ともなれば,ほとんどの人が好きな作家に春樹を挙げる。私は自分の感情について,まぁたぶん「とんがっている」だけだろうと分析していた。みんなが好きなものを自分も好きだなんて言いたくないという天邪鬼な感情なのじゃないかと。今にしてみれば,たぶん違ったのだと思う。春樹の作品を丸ごと読んだことはなくても,何かしら春樹の文章に触れる機会はあるわけで(現代文の問題とか),そういう機会にたぶん「あー,嫌だな,これ」と思ったのだ。おそらく。そしてずっと蓄積されていたらしい。
しかし苦手と言っておいてなんだが,もちろんすべての春樹作品が嫌いというわけではないのだ。たとえば『カンガルー日和』や『東京奇譚集』は好き。『1Q84』は商業路線だとは思うが,上に書いたような独特のこねくり回しは全然鼻につかなかった。それどころか天吾のお父さんの言う「説明されないとわからないのであれば,説明されてもわからない」など,シンプルな台詞の方はとても印象に残っている。あと『村上ラヂオ』のようなエッセイも,すごく面白いと思う。
で,これは別に「やはり私は春樹が嫌いだぜ」「みんなとは違う非凡な感覚の持ち主だぜ」と吹聴したいわけではない。それどころか,正直に言うと残念なことである。例えば私はチーズが苦手なのだが,世の中で見るとこれは圧倒的なマイノリティであって,とてもおいしそうにうれしそうにチーズを食べる他の人たちを見ていると,なんだか自分が人生の4分の1ほどを損している気分になる。それと同じである。春樹なんて今や「世界のハルキ」,それを苦手だなんて,共通言語の可能性のひとつを失ったに等しい。ましてこれから留学を考えようかという人間がである。ついでに言えば私は欧米の人たちがこぞって絶賛する葛飾北斎も,歌川国芳に比べればそれほどでもない。ワインも,昔よりは飲めるようになったしおいしいとも感じられるようになったが,やはりビールの方が好きである。書き連ねていくうちに不安になってきたので,もうこの辺にしておこう。いつか春樹も北斎もワインも心から楽しめる日が,願わくば近いうちに来ることを祈りつつ。

アフターダーク (講談社文庫)

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スプートニクの恋人 (講談社文庫)

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