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書き言葉の危機につき

余暇

住んでいるシェアハウスの住人はほとんどが日本人だし,学校も始まっていないしで,まだまだ日常的には日本語を話す機会の方が多いのだが,それでも少なくとも私の場合,しばらく日本語を(まとまった量)書いていないとさすがに錆び付いてくるらしい。今日日本の先生へ近況報告のメールを書いていて,言葉が思うように出てこないことに慄然とした。そこでこちらの日記である。やっぱり即時的なひと言と,つれづれとでも考えて書く文章とを比べたら,私は後者を選びます。楽しいけど,Facebookとか。
さて,おかげさまで私は元気にしております。こちらに何も書いていなかったのは特に忙しかったからではなく,もちろん落ち込んでいたからでもなく,書くことがなかったわけでもなく,ただしばらくものを書く気にならなかったからというだけでございます。留学生活は精神衛生がとにかく肝要と言われるが,少なくとも来て2か月強の間,とりわけ落ち込むこともなく過ごしております。毎日どんなふうに過ごしているかと言うと,単純に言えば,日本の生活とそう変わりません。日本の生活を少し勤勉にしたくらいの生活をしております。朝起きてピアノを弾いて(シェアハウスのピアノを調律させてもらったので,夢のピアノ付き物件に),お昼ごろ学校に行き,図書館で専門書を読み,帰る。強いて言えば5歳から変わらない日課をこなしているとすら言えます。18歳の時からそれに自炊が加わったくらいです。日本だろうとアイルランドだろうと変わらないようです。でもそれが大変幸せなことであることは重々承知しております。
変わらないといえば,無いものねだりをする性分も変わらないらしい。たとえば今,私は日本の夏が恋しくて仕方ない(あくまでも「夏が」であって,早くもホームシックにかかっているわけではないのでご安心ください)。しかし去年の夏までは,確かアイルランドの夏の話を聞いて(上がってもせいぜい20℃だと)うらやましがっていた覚えがある。それがいざ来てみると,7〜8月でさえも七分袖を着るのもためらうほどの涼しさ,物足りない。昨日外に出てふと空を見ると,なんだか雲の様子が秋のようで大いに焦った。でも今夜の空気の香り(というものがあるんですよ,都会育ちの皆さん)は夏のそれだったのでとても安心した。取り立てて夏が好きなわけでもないが,でも夏を飛ばして秋が来るとなると話は別である。

さて

書き言葉の危機を感じついでに,最近見つけた変な日本語をご紹介。傍目八目とはよく言ったものです。

2012年シーズンから横浜F・マリノスに復帰し、中村俊輔からは「和風メッシ」と称された。

Wikipedia「齋藤学」の項より(本日の勝利おめでとうございます)。何がおかしいって「和風メッシ」。ふつう「和製メッシ」ですね。

誰かが君を惑わせ 迷宮に迷い込んでも 僕がきっとその手を強く引くよ
(嵐「迷宮ラブソング」より)

これは前々からとても気持ち悪かったのだが,日本語の文章を書くときに陥りがちなミスの代表例と言えます。どういうことかというと,一文の中に主語が3つ。まず「君を惑わせ」るのは「誰か」で,「迷宮に迷い込」むのは,書かれていないが「君」,そして「その[=君の]手を強く引く」のは「僕」。特に気持ち悪いのは特に「僕が」より前,「誰かが君を惑わせ/迷宮に迷い込んでも」。一文の中で主語は基本的に変えてはいけないし,変えるのであれば「僕がきっと〜」のように明記すべき。あと,さらに言えば「迷宮に迷い込む」も,表現としてあまりうまくないと思う(「迷」の重複)。ここは「誰か」を主語にしたまま,たとえば「誰かが君を惑わせ 迷宮に誘い込んでも」ではだめだったのか,といつもいつもいつもいつも聴くたびに思う。誤解のないように言うと「迷宮ラブソング」自体は大好きなのです。好きだからこそ惜しいのです。

ショータイムが始まる 二人夢の中 めくりめく時間を君に見せるよ
(嵐『僕の見ている風景』所収「サーカス」より)

ああああもう!!これも好きだからこそ許せない!!しかしこのレベルの間違いは本当に許しがたい!!どこがおかしいかもう一目瞭然ですね。「めくりめく」なんていう日本語はない!!正しくは「目眩く(めくるめく)」!!もう私は個人的にこういう,詰めの甘い覚え方をしたために起こるミスが大嫌いなのです。よくある例では「雰囲気」を「ふいんき」と誤解するとか。あとこの前クックパッドでひたすら「ズッキーニ」を「ズッキニー」と表記しているレシピを発見し,気も狂わんばかりであった。
ああ,しばらくのもやもやにやっと一区切りつけられた。すっきりとまではいかないまでも。