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掻き混ぜた卵の白身を入れた赤いゼリー

読書

学校でShort Story Club(短編読書会)というものが開かれるというので,昨日参加してきた。今は学校の「アイルランド週間」につき,取り上げられたのは以下の「アイルランドもの」4編。

  • William Trevor, `Death in Jerusalem`
  • Frank O'Connor, 'Guests of the Nation'
  • Edna O'Brien, 'Irish Revel'
  • James Plunkett, 'Weep for our Pride'

Classic Irish Short Stories (Oxford Paperbacks)

Classic Irish Short Stories (Oxford Paperbacks)

今回とりわけ面白く読んだのは*1エドナ・オブライエンとジェイムズ・プランケットの2編で,特にエドナ・オブライエンは前々から読まなければと思っていたのでうれしい機会であった。内気な田舎娘のメアリが初めてパーティーへの招待状を受け取り,初めてのパーティーと,さらにそのパーティーに想い人が現れるのではないかという予感にわくわくしながらおしゃれして出かけるが,自分が呼ばれたのはむしろ働き手としてであり(これちょっとあまりにも酷すぎないかと思った),想い人は現れず,小間使いのごとくこき使われ,町の鼻持ちならない意地悪娘たちには冷たくあしらわれ,また町娘たちのあこがれの的である(が,下品でうぬぼれ屋である)オトゥールという男にはしつこく付きまとわれ(しかも名前を間違われる),みじめだし楽しみにしていたパーティーはがっかりだし,母親に言われた通り,「朝のミルク絞りの時間にはまにあうように」早朝に失望にまみれて帰宅する,という話である。「彼女は今や丘のてっぺんにいて,そこからは彼女の家が見えた。それは世界の果ての白い小さな箱みたいで,彼女を受け止めようと待っているのだった。」という終わりの一文が秀逸。「キラキラした世界」に連れて行ってくれる何かに憧れながらも(たとえばここではパーティー=非日常であり,また彼女の想い人であるジョン・ローランド=恋や結婚),しかし結局はもとの世界/日常に戻るしかないという諦念,アイルランドものではたとえばシングの『西の国の伊達男』に描かれてきた世界だし,アイルランドものに限らなくてもたとえば昨今では『それでも恋するバルセロナ』で鮮やかに(もっともコミカルに)描かれた世界である。
その諦念を特に女性作家であるエドナ・オブライエンがどのように描き,またそれがどのようにほかの男性作家(シングなりウディ・アレンなり)と異なるかということについてはまた別稿を(設けられたら)設けるとして,今日どうしても書きたいのは表題にした「掻き混ぜた卵の白身を入れた赤いゼリー」のことである。これが気になってたまらないのである。

アイルランド短篇選 (岩波文庫)

アイルランド短篇選 (岩波文庫)

帰ってからこの短編集をめくっていると,偶然このIrish Revelもおさめられているのを発見した。日本語では「アイルランドの酒宴」。「国賓」と同じくとても皮肉な題名なので,私だったらもっと「アイルランド式の酒宴」とかにしたいところだがまあそれはいいとして,やはり問題は「掻き混ぜた卵の白身を入れた赤いゼリー」である。この日本語訳版「アイルランドの酒宴」の中に登場するのだ。

「客間に行こう,ドリス」とオトゥールはメアリに言った。メアリはちょうど大きな琺瑯の洗面器からゼリーを取り分けていた。ゼリーを入れる陶磁器がなかったのだ。それは掻き混ぜた卵の白身を入れた赤いゼリーだった。しかしうまく固まらずに失敗だった。(304-5頁)

原文ではこう。

'Come into the drawing-room, Doris,' said O'Toole to Mary. who was serving the jelly from the big enamel basin. They'd had no china bowl to put it in. It was red jelly with whipped egg-white in it, but something went wrong because it hadn't set properly.

最初これを読んだときは,メレンゲ添えた赤いゼリーだと勝手に思っていた。つまりin itのitはthe big enamel basinを指すのだろうと思い込んでいたが,言われてみれば確かに,直前の文中のitはゼリーを指すわけだし(They'd had no china bowl to put it in),いきなりここでitの指すものが変わるのは不自然な気もする。ということはやはり「メレンゲを入れた赤いゼリー」なのか。でもそんな気持ち悪いもの聞いたことがない。そう思ってレシピ検索してみると,ある。メレンゲゼリーというものが世の中に存在する。たとえばこれなど,作中に出てくるゼリーに近いのではなかろうかと思う。なんとアイルランド文化の勉強のみならず,英語の勉強のみならず,さらに料理のレパートリーまで増えてしまった。やっぱり読書はするものですね。
しかしそれにしても「掻き混ぜた卵の白身」というのは。つまりはメレンゲのことだと思うのでメレンゲでもいいような気がするし,もっと原文に忠実に訳すなら,せめて「ホイップした/泡立てた卵の白身」で十分な気がする。どうも私が感じた気持ち悪さはこの「掻き混ぜた」に起因する気がしてならないのだが。大変不遜なことを言ってしまうようだが,訳者の橋本先生はもしかしてあまりお料理などなさらない方なのかもと思った。以前アイルランド語教室で小説を輪読していたとき,「(車の)運転手は道路に腹ばいになってボンネットの中を覗き込んだ」というような珍妙な一文が現れ,先生が「この作者はたぶん車のことをまったく知らずに書いてますね」と言っていたのをちょっと思い出した。しかしどうか誤解しないでいただきたいのだが,別に私は不自然な訳をあげつらって笑いものにしたいわけではない。文学を作るにせよ訳すにせよ,幅広い背景知識が必要であるということに,ゼリーへの執着から広がって改めて気づかされたというだけのことである。
しかしそれにしてもゼリー。私もひところは寒天抹茶とバニラアイスでクリームあんみつ(ただし「みつ」なし)を自作したり,小生意気にもワインゼリーを作って手土産にしたりするような女だったのだが,このところずいぶん作っていない。そういえば。

*1:オコナー「国賓」は以前に読んだことがあった。たぶん2008年ごろの日記に書いてあるんではないだろうか。トレヴァーはよくわからなかった……。