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Life of Pi

映画

危険地帯スミスフィールドにありながらやたらめったらおしゃれな映画館Light House Cinemaまで出向いて,今更Life of Piを観てきた。実をいうとあまり今まで気になっていなかったのだが,id:saebouさんの評を拝読して俄かにとても気になってしまったので。直前までUCDで史料調査をしていたら思いっきり帰宅ラッシュに巻き込まれ,1時間かかって開始直後に駆け込む羽目になったのはさておき(こういうときダブリンはとてつもなくイライラする街である)。
さて,そもそもなぜ気になっていなかったかというと,私はてっきり感動的な話に終始するもんだと思い込んでしまっていたからである。それが違ったのはもちろんこの映画が面白かった理由のひとつではあるが(コミカルなタッチを忘れずに描かれていた漂流シーンにわいわいはしゃいでいた観客たちも最後の最後に水を打ったように黙り込んでいたのが印象的),そのほかにもいろいろと穿った読み方ができるのがこの映画の醍醐味ではなかろうかと私は思った。それでいて一番肝心な象徴(だと思われるもの)はあっけなく提示されてしまうので,観客は置き去りにされてしまう。原作でもそうなのだろうか?
物語は,少なくとも上澄みだけ見れば,ポストコロニアル研究の方々が大喜びしそうな感じである。パイがポンディシェリの出身であること,New Indianと呼ばれる知識人階層の両親に育てられながらパイ本人は様々な宗教に興味を持つこと(自分の宗教的アイデンティティヒンドゥー教徒でありキリスト教徒でありさらにムスリムでもあるとパイは語る),特に「ヒンドゥー教を通して」キリスト教を知ったと語ること,インド人のパイがインド人同士であってもほぼ英語で話すこと(ハリウッドだからかもしれないが),ビジネスの新天地を求めて一家が渡ろうとしていた先がインドと同じく植民地経験を持つカナダであることなど。もっと言えばこの物語には様々な逆転が見られて,そもそもオリエンタリズムにおいては「語られるもの」であるところのインド人パイ(要はサバルタン?)が白人記者に自分の物語を「語って聞かせる」という点自体もそうだと思うし,パイが子供のころに読んでいたヒンドゥー教の神々を題材にしたコミック本はヒーローもののアメコミタッチで描かれていたところ,インドを離れることになってお父さんが「私たちはコロンブスのように航海するんだ」と言ったとき,パイが「でもコロンブスはインドを探したんでしょ!」と言い返すところ,フランスの旧植民地出身者が船上でフランス人とひと悶着起こすところ,一緒に漂流するトラの名前が「リチャード・パーカー」という立派な人名風のもので*1,人間パイの名前はほぼニックネームであることなど,あれもこれもと考えながら見ると非常に面白い。またパイの宗教意識についても,教義を信仰しているわけではなくてもっと広義の「聖なるもの」を信仰しているように見えるのも鋭い描き方だなと思った。それは船上で嵐に遭った時にデッキで興奮して大喜びしたり,また遭難中に再び嵐に見舞われた時も雷を見て美しいと言っていたりするのにも現れているかもしれない。
しかしこんな風に頭の体操にいそしみながら観ていたのだが,なるほど最後の10分間で物語はがらりと変容する(正直に言うと,ここからはsaebouさんの評を拝読していなくては全く気づきもしなかったかもしれない)。この物語のミソは「そうだったのか」だけで終わらせることなく,さらに「Which-----?」と畳み掛けるように続くところであると思う。そしてこのパイが最後に投げかける質問こそ,静かにこの映画を怖くさせしめる要因であるようにも思える。たとえば,私自身は何か作品を批判する際に「こういうのが好きなんでしょ?ってタカをくくってる感じが見え見え」などと言うことがあるのだが(私が嫌な女であることはこうして露見するのである),しかしこの「こういうのが好きなんでしょ?」,面と向かって言われると,はい,そうです,その通りです,私(=観客)が悪うございました,としか言うほかないということがありありと感じられた。とすれば,インタビュアーの白人男性は観客である私たちを代弁しているということになるだろうか。彼の答え「私は少年とトラの物語が好きです」も然り,最後に保険の調査書に目を落としながら「[少年]と,トラの」と付け加えるところも然り。結局私たちは目の前に2つの選択肢を提示された時,自分にとって好ましい方を選びとるしかないのかとじんわり胸に迫った。パイの話を全く信じなかった保険調査員2人も,この物語では同じく観客の側に属していると言えるかもしれない。そういえばパイも,保険調査員に信じてもらえずにどうしたのかと聞かれたとき,「another story」を語ったと言っていたけれども,「I made up story」とは言っていなかった。この作品のタイトルがLife of Piであって,中心には据えられているけれども決して漂流だけを描いた話ではないというところにも関係するかもしれない。映画の中でたびたびパイが何かを「見ている」映像が(たいていとても美しく)流れるけれども,よく考えてみれば私たちはパイの目を通して世界を見ているだけなのだ。
いろいろなことに想いを馳せていたらこんな時間(2時半)になってしまった。実をいうとダブリンに来てから映画を見たのは『レ・ミゼラブル』に続いてこれが2作目,映画好きな人間としては考えられないペースである。理由はただひとつ,字幕なしが怖いから。なんという情けないことだろう。実は『レ・ミゼラブル』も日本で一度見てからこちらで見るという恐れおののきよう。したがって今回が実質初めての字幕なし映画館鑑賞となった。思ったよりずっと平気なもんですね。何より,生活に映画が戻ってきたことがうれしい。ピアノが戻ってきたときも同じように思ったが,私の日常という感じがする。

*1:余談だが,パイ(大人)がベンチに座って話しているとき,その先に停泊していた船の名前が「ミニョネット」だったことを私は見逃さなかった。