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世界が変わる

セミナー報告が終わった。たぶん80%くらいの力は出せたと思う。残りの20%はなにかというと,やはり衆人環視の中で英語で質問に答えるというのは緊張するもので,若干しどろもどろになってしまったということで。まぁでも日本語でも支離滅裂になったりするし(今回は支離滅裂にはなってなかったと思うが),初めての英語での研究報告としてはまあまあな出来ではないだろうか。と思いたい。あとこれは進歩だと思うのだが,一緒に発表したメアリーへの質問の方が多かったことを静かに悔しく思った。よい質問が多く寄せられて初めて発表を成功と見なせるという持論があるし,なによりメアリーには適わないと思っていた節があったので,自分が彼女に対して「悔しい」と思う感情が芽生えたことが新鮮であった。

アクシデントがひとつ。パワーポイントを映すために私のPCにケーブルを繋いだところ,デスクトップ画面は映るもののそれ以上反応がなく,おかげでスクリーン上には現在の壁紙であるキスマイのロゴ(紫)が大写しになったままになってしまって,しばらく焦った(!!)。ここで見るからに焦ってはダメだと思い,つとめて冷静に対処したが(メアリーのPCを借りた),内心どうせロゴを壁紙にするなら嵐にしておけばよかったとか*1,綴りがそのままなので意味もばっちり伝わってしまうSexy Zoneでなかった分*2キスマイでよかったかもしれないとか,とりあえず写真じゃなくて本当によかったとか,そんな阿呆なことを考えながらパニックに陥りかけた。

発表をしながら,またメアリーの発表を聴きながらぼんやり考えていたのだが,博士の研究はやはり,ただ一生懸命勉強しましたというだけではダメなんだな,と。当たり前といえば当たり前であるが,修士まではそれでもなんとかなってしまう分難しいのだと思う。博士はある程度の規格をはみ出す勇気のようなものが必要で,でもそれってやろうと思ってできるものではないわけで,これ以上言ったら異端かも,とか思うくらいのことを言わなければ(もちろんハッタリではダメなので,それを裏付ける根拠や分析をちゃんと提示したうえで),人に覚えてもらえる研究はできないんだなと思いました。突拍子もないことを言うのではなくて,自分にしか見えていない世界を見せるのが博士課程以上の人間に求められている仕事なんだなと。この前帰国した時,日本の指導教官に良い博士論文にはデータベース的に有用なものと現行の概念を覆すものがあると言われたが,希望を言えばやはり私は現行の概念を覆すものを書きたいと思う。だから研究は楽しい。茨の道とよく形容されるが,今までそう思ったことは一度もない。「怒られないことじゃなくて,怒られても挑戦する人の方がかっこいいと気づいた」とみやっちも言ってました。

あと,発表後にフヌラが私たちのところへ来てくれて「いい発表だった」と言ってくれたとき,彼女は「女性史(Woman history)にはもっと人が必要だから」と付け加えたのだが,私はこれを聞いて「え,私女性史やってると認識されたんだ」と,なんとも言えず戸惑った。このことは以前FBで先輩とやりとりさせていただいた時,「自分がジェンダー史をやっているという意識はない」と言ったこととも思いがけずつながるのだが。いったい私はなぜこんなに女性史やらジェンダー史やらに微かな抵抗を覚えるのだろう。私の錆び付いた直感の中でも,こうした「引っ掛かり」は大切にした方がいいと経験則から知っているので,無視しないようにしよう。

*1:漢字!クール!となるかもしれない。

*2:What's "Sexy Zone"?とか言われたら最後,私はたぶん矜持にかけて説明しただろう。もっともマリウスの年齢に言及したら最後,こちらでは幼児性愛者の疑いをかけられるかもしれないが。