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君はそう My 3D Girl

今日は昨日の追記的内容です。昨日のを編集してもよかったのだが,今日考えたことなのでやはり今日に回してみた。あと今日は一日中論文を書いていたので,特に書くことがないという理由もある。それともみなさま,1899年に設立されたCatholic Truth Society of Irelandの理事たちのバックグラウンドについてご興味おありですか?

なぜ「女性史」および「女性関係の学問」に私があまり納得いってないのか。それはその根底を流れる被害者意識に原因がありそうだと書いたが,昨日の学会にしたところでそうだったように思う(友達がやっている学会なのであまり大声では言えないが)。女性に関わる発表を募るのであれば,ひとつくらい男性を扱ったパネルも作らないと,結局女性の「特殊性」だけをみんなで見て,女性ってこんなに大変だったんだねとか虐げられていたんだねとか,このアンフェアな世の中に鉄槌を!みたいなことをみんなで言い合って終わるだけの,マイノリティ同士の傷の舐めあい会になりかねない(昨日のがそうだったわけではないが)。そもそも私は昔から個人的に「別に女性ってマイノリティじゃないよね」という考えであり,学術的に女性を研究する立場としても,単に「女性に光を」でなくて,「見られてこなかった女性の要因を組み入れるとこんな面白いことが見えてくるよ」という建設的かつポジティブなもの(能天気とも言うかもしれないが)を目指したいと思っている。女性を扱うようになったのがいかんせんここ数年のことで,それまではできる限り避けて通ろうとすら思っていたので,少しばかり首を突っ込むようになってからその根底を流れる被害者意識を改めて認識したことによる戸惑い,というのが私の女性史および女性学に対する違和感の正体かもしれない。

でもかといって,たとえば女性のことをやる学会で男性のファクターを入れ「なければならない」というのも変な話である。私が上で男性のことをやるパネルも作った方がよかったのではと書いたのは,単に比較対象があればまた違うものが見えてきて面白かっただろうと思ったからなのだが,でもそういうことをすると,女性は(もしかしたら男性も)単体では語り得ないものということにもなってしまうかもしれない。それはそれでまた違う気がする。

そういうわけで,ジェンダー論っぽいことをやり始めたというか,ジェンダー論的なことも論じなければならなくなった,いわばジェンダー論「新規」*1として,結構まじめにジェンダー論をどう論じるべきか考えている今日この頃です。

……それにしても今日の内容は,冒頭に書いたCatholic Truth Society of Irelandの理事たちのバックグラウンドと同じくらい,興味のない人には興味のない内容になってしまった。まぁ日記なので,致し方ないんですけど。

ついでに今日のタイトルは,キスマイ『3D Girl』より。今日のような日記にまでジャニーズ楽曲のタイトルをつけることはないのだが,女性史が女性をもっと「立体的に」描くには?ということで,無理やりこじつけました(我ながらいいこじつけ!)。そしてこの曲を聴くといつも,3Dよりは2D girlに興味があるであろう自担に想いを馳せます。彼は現実に恋をしたとき,こういう(「君はそう My 3D Girl」という)認識なのだろうか。

*1:今日はここまでジャニーズ系の言及がないので,ここらで用語を投入しておく。もっとも「新規」だの「古参」だの,私は大嫌いなんですけどね。品位を落とすと思うんですよね。