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世界中を敵に回すほどの

明日も晴れたら走ろうと思っているのだが(毎日走るより1日おきの方がいいと聞いて),それよりなにより論文の直しが終わらなくて現実逃避気味である。そもそも西洋史なんて学問自体が現実逃避じみている*1のに,そこからさらに逃避したら,私に待っているのはもう霧のむこうのふしぎな町くらいしかないんじゃないだろうか?で,そこでも現実逃避してきたはずなのに過酷な労働を強いられ,名前を一文字に変えられ*2豚に変えられた両親が恋しくて泣いている私にニギハヤミコハクヌシ(hereinafter shortened to ハク)こと宮田俊哉がそっとおにぎりを差し出すのである。この今日の妄想文を一読するだけでも,私がどんなに切羽詰っているかおわかりであろう。あとハクはどっちかというとガヤっぽいが,やっぱりあんなハクは嫌だ。かといって宮田俊哉ハクはもっと嫌だけど「似合っとるよ」

ところでTwitterはそれなりに楽しんでいるが,開設したことを書いた日に述べた通り,設置した目的は世のジェンダーイシューについて学ぶためであった。そのためにジェンダーに鋭い関心を寄せ発言なさっている方々をフォローしている。結果的にそれは成功で,というのがみなさま発言してくださるだけでなく,他のジェンダー論者のリツイートもどんどんしてくださるので,とても助かってはいるのだが,問題がひとつ。

私はやっぱりジェンダー論に向いてないんじゃないか?という疑念がぬぐえない。

 私のもくろみは,さっきも書いた通り,大成功だった。日々学ばせていただいている。しかしみなさまの鋭いジェンダー意識に,私は先立ったことがない。要するにツイートを見て,「はぁ,そういう考えもあるのか」「そういう見方もあるのか」「そう言われればなるほどね」と思うことが多々である。たとえば最近ではスカイマークのCAのミニスカ制服などが取り上げられているが,私は言われてみるまでそれが「使用者の権力と労働者の権利をどう考えるかの問題」*3にもつながりうるということに気づいていなかった。かといって賛同もしていなかったのは確かだけど(くだらねー,と思って意識の右から左へと流した)。他にも人工知能学会の学会誌の表紙にアニメ的な女性のイラストが載り,それが「掃除婦」のロボットであったということについてスプツニ子!が性差別的であると反論した話などあるが,私はたぶん人工知能学会の学会誌の表紙を見ていたとしても,ふーん,としか思わなかっただろう。自己の名誉のために書いておくと,決して「言われたことに納得できない」ではなく,ただ「言われるまで気づかない」のである。でもそれって,やっぱり全然いいことじゃないよ。ジェンダー論云々の前に,一応インテリの部類に入る女としてどうなのかと思ってしまうよ。

でも救いがあるとすれば,私の持論は「歴史のファクターとしての『戦わない女性』にもっと目を向けよ」なので,その持論を(好むと好まざるとに関わらず)体現する人間としてはいいのかもしれない。ジェンダー論とかフェミニズムとか女性史は,まずそれをやる人がもっと多様化してもいいはずだと思うし。こんな,今風の言葉で言うと「意識低い系」の「女子」がひとり紛れ込んでいても,別に罰は当たらないんじゃないか。生きにくいことは確かだと思うが。せめて発言権を持たせてもらえるよう,まずはその持論を裏付けるに値する立派な研究を世に出します。ということで,論文の手直しだ。うん。(永劫回帰




*1:やっている人たち自身はもちろん,そんなこと思ってません。でもどうせみなさん現実逃避だと思ってんでしょ?えっ私?私にとって現実ってなんだっけ?

*2:でも私,もともと名前一文字なのにどうするんだろう。読み方を「まい」から「ぶ」に変えられるんだろうか。「今日からお前の名前は『ぶ』だ。わかったら返事をするんだよ,ぶ!」

*3:この言葉はTwitter上からそのまま拝借したものです。