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美しい恋にするよ

何かが読みたいという衝動は突如として訪れるもので,それは本を手に取るまで決して消えることがない。他の人にとってどうかはわからないが,私にとってそれはたぶん喫煙する人が煙草を吸いたくなる衝動に似ていると思う(煙草吸ったことがないからわからないのだが)。なので私にとって読書なんて道楽であり,本(フィクション)なんて単なる嗜好品であり,むしろ勉強しているときそこにあってはいけないものであった。高3になった春,私は本棚にあったすべての単行本と文庫本を段ボールに詰めて「封印」したものであった。それくらい私にとっては害悪である。私が(さすがに洋書は無理だが)日本語の本はとにかく,一度読み始めたら読み終わるまで本を閉じられないという悪癖の持ち主であることにもそれは起因している。

私にとっては害悪である。しかし一般に,本は良いもののはずであろう。私が通うトリニティ・カレッジ・ダブリンの図書館は法定納本図書館に指定されており,UKで出版されるすべての出版物がここに収められることになっている。ここで学ぶものにとって,研究するものにとって,こんなに都合のいい話はない。トリニティにして本当によかったと思う大きな理由のひとつである。

しかし法定納本図書館であるということはすなわち,慢性的に本の収納スペースに悩まされるということをもまた意味するのである*1。要するに本を収納するスペースがキャンパスだけでは足りなくなると,キャンパス外にも書庫を作らねばという風になるのが自然のなりゆきである。そういうわけでトリニティはキャンパス外に数か所書庫を設置しているのだが,ここに本が収納されてしまった場合,請求しても即日では届かない。これが問題なのだ。そして,まことに怪しからぬことに,1年貸し出されるか否かの研究文献ならわかるとしても,文学作品までもここに収納されがちなのだ。これがとても困るのである。学生にとって勉強とは別の読書は,学校の勉強よりよほど重要だと私は思うのだが。そして学生が読みたいと思ったときすぐにその本取り出せるような環境を整えるのは大学の使命であると思うのだが。逆に研究文献なんか全部書庫に突っ込んでもいい。本を参照したいと思っても即日で届かない可能性や,借りられてしまっている可能性も考慮して前倒しで計画をたて,実行できるようになるということも,学生時代に身につけるべき重要なスキルである。

で,こんな長文で憤って私は何が言いたいのかというと,ここ半年ほどの間になぜか定期的に訪れる「ビートニク読みたい症候群」が今日再発し,明日学校に行くからそのときケルアック『路上』を借りてこようと思ったのである。で,調べてみたら,書庫。まただよ。また書庫だよ。前『芝生の逆襲』借りようと思ったときも書庫だったんだよ。なんでなの。ビートニクが下手に大学生の目に触れて彼らがかぶれたら困るからそっと隔離してるの。そう思って今調べてみた。アレン・ギンズバーグ,ウィリアム・バロウズ,すべて書庫に収納されていました。検閲だ!思想の統制だ!と叫びたいところではありますが,これは別にビートニクに限らないことを私はよくよく知っていますのでやめておきます。

図書館が勉強の場所としてのみ使われることを私は常々悲しく思っていて,特に大学の図書館はもっと娯楽の読書のために使われればいいと思っている。本郷の総合図書館は我が物顔に占領して六法全書を広げる法学部ならびにロースクールの学生たちであふれ返っていたけれど,そんな中4階に上がり道楽の読書をするのは私の何よりの楽しみだった。河出書房の池澤夏樹編の世界文学全集が出てからは特に足しげく通ったものである。そういうことがなかなかできないというのは寂しい。東大,いいところだったなぁ。

*1:このあたりは私が前に書いたこちらをご覧いただけるときっとご事情がおわかりいただけるし,私も書いたものを読んでいただけてうれしいし,結果的にみんなハッピーになります。