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Double, double, toil and trouble

こちらは昨日のツイート。骨を煮込むって,何やら魔女っぽくて素晴らしく楽しい作業である。思わずマクベスの魔女による"Double, double, toil and trouble..."を口ずさみそうになった。ハリネズミの目玉,カエルのつま先,蝙蝠の産毛,犬の舌,蛇の割れた舌に毒牙,トカゲの脚にフクロウの羽,を入れることなく無事昨日スープを取り終わり,明日あたりラーメンの麺買ってきて入れて食べようと思っていたのだが,今日見ているとどうしても食べてみたくなって,チンゲン菜のスープにして食べてみた。本来,鶏ガラスープを作るときというのは臭みを消すためにネギや生姜を入れるものらしいが,今回は何も入れずただホロホロ鳥の亡骸をそのまま水から煮込んだだけだったので,もしかしてすごく生臭かったりしたらどうしようと心配していた。結果,涙が出るほどおいしかった。いや,正確に言えば,涙がホロホロと出るほどおいしかった。くだらないことを言って申し訳ありません。でも本当に,丸焼きにされて肉を全部そぎ落とされた上に骨までしゃぶられて,お前はなんて献身的な鳥なんだ,ホロホロ。君の自己犠牲の精神には,余すところなく君を味わうことによって報いたつもりだ。安らかに眠ってください。本当にありがとう。

さて,マクベスの魔女ごっこは控えたにも関わらず,2倍にも3倍にも膨れ上がった研究の苦労と苦悩に先日からずっと悩まされている。今日はずっと,先日から取り組んでいる読書会データの分析の続きをやっていた。メンバーの年齢層,居住地,宗派などなどをすべて国勢調査から明らかにした上でそれらの比率を調べているのだが,ここにたどりつくまでに関門が2箇所くらいある。まず,根本的な問題だが,手稿の場合,なんて書いてあるかわからないものがある。これがスラスラできない時点で私は歴史家失格に等しいのだが,近現代史をやっている場合,手稿に慣れていない人間もいたりするのだ(私みたいに)。特に日本でやっていると,修論まではとにかく「手に入る史料」で書くというのが原則になってくるから,そうなると現地に行かないと手に入らない手稿よりも刊行史料の方が手に入りやすい。私も修論の中心史料はInternet Archiveでダウンロードした当時の雑誌だったし。結果,手稿読み慣れないまま博士課程まで上がってきたりする人間が出てくるというわけである。以上,言い訳でした。

その次の関門は,やっと名前が読めたとして,その名前で国勢調査を検索しても引っかからないことがほとんどだったりするということである。今日やっている読書会のメンバーリストは幸いなことにフルネーム表記してあるが,別の読書会のメンバーリストはすべて「Miss. ○○」とか書いてあって,それがたとえばMurphyとかFergusonとかいった何百人いるんだというような平凡な名前だった場合,特定が限りなく困難になる。あとは読書会の開催された場所とか,そういった他の情報を頼りにできるだけ特定を目指すしかないということになる。しかしこれも私が歴史家として未熟だからで,たぶんもうちょっとこういう作業に慣れていれば,きっとスムーズにできたのだろうと思う。

そういうわけで,特定ができなければ分析もできない,分析ができなければ文章が書けない,ということで,ここ数日間は大変苦しい。ああでもないこうでもないといろいろな分析を試してみる過程自体は楽しいのだが,その分析の結果出てきたものが有意義な何かを示しているように思えない。とはいえ,手を動かし続けるしか方法はない。明日もホロホロ鳥のスープに癒されながらがんばります。ああ,よくないものがこちらへ来るぞ(Something wicked this way comes)。