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NHKスペシャル「宝塚トップ伝説」

何回か書いてきたと思うが,私はジャニオタであると同時に,ライトな宝塚ファンである。初めての観劇は1998年,宝塚大劇場での宙組お披露目公演『エクスカリバーシトラスの風』で,これは私の人生において誇るべきことのベスト5くらいには入るといつも思っている。しかし,だからといって追っかけをするとか遠征をするとかいう域には至らず,友の会にも私設ファンクラブにも属したことがない。テレビで宝塚のことをやっていたら必ずと言っていいほど見るが,劇場に足しげく通うわけではない。したがって,ジャニオタ用語でいうところの「茶の間」くらいのレベルであると思われる。もっとも,宝塚はあまりテレビに出ないので,「茶の間」も何もないのだが。対して,ダブリンにて同居している後輩きゃりーは大変熱心なヅカオタである。私も上に書いた通りの人間なので,宝塚に興味がないわけはない。現在の劇団や各組の体制,ひいてはファン文化のことまで,いつもいろいろと教わっている。たまに彼女の所蔵しているDVDやブルーレイで鑑賞会を行っている。

さて,昨日もその一環で鑑賞会をしたのだが,今回は少し趣向を変え,2人でNHKスペシャル「宝塚トップ伝説」を見た。私はこの番組のことを無知にして全く知らず,この前の帰国からこちらに戻ってくる時に機内チャンネルの中にあったのでそこではじめて見たのだが,これが本当にいい番組だった。入門編としても使える解説の親切さと,ヅカオタが見ても楽しめるだろうドキュメンタリーとしての密着ぶり。こちらに戻ってきゃりーに真っ先にそう伝えたら,彼女はもちろん録画ブルーレイを持っており,また見ようということになった。以上がこの鑑賞会の顛末である。そして今日は,この番組の個人的な見どころを列挙してみようと思うのである。

1. 独特なファン文化

この番組の中では「ちょっと不思議な,ここでは見慣れた光景」と説明されつつ,ヅカオタの「入り待ち」「出待ち」の光景が数回映し出される。

たとえばいきなり冒頭,星組トップ・柚希礼音さんの入り待ちの光景から始まるのだが,入り待ちに並んだファンは紫のストール*1を身に着けて待っている。柚希さんが到着し,車から降りるや,入り待ちのファンは一斉に「年のはじめは100周年 ちえちゃん*2に会えるめでたさよ」と歌い,声をそろえて「あけまして初日おめでとうございます,いってらっしゃい」と劇場入りを激励する。また花組トップ・蘭寿とむさんの退団の際には,これまた整列したファンが,今度は上下真っ白の服装で*3並んでいる。蘭寿さんは拍手を受けながら,後輩の担ぐ神輿に乗って劇場入りする。こんな具合で,もはや「ちょっと不思議」どころではない。それどころか,何の予備知識もない人間から見れば,だいぶ異様ですらあるかもしれない。

しかし宝塚同様,ヅカオタの世界も割と閉ざされているので,垣間見られる機会なんて,そうあるものではない。ファン文化というのはどのジャンルであっても興味深いものである。ただ,これだけだと「ヅカオタって気持ち悪い」と思われる向きもないとは言えない気もするので,欲を言えばこのファン文化についても,もう少し掘り下げてほしかった気もする。まぁ,あくまでこの番組はタイトルが指す通りトップにフォーカスした番組なので,仕方ないのだが。

2. レッスン風景

宝塚のレッスン風景が映し出されているのもまた興味深い。歌唱指導,演技指導,ダンス指導,ほぼすべて見ることができるので,何ならこれを見て練習したら自分もできるようになるのでは?という気すらする。

圧巻なのは榛名由梨さん*4の『ベルサイユのばら』フィナーレのナンバー「バラのタンゴ」の指導風景。私も現在の榛名さんを見るのは初めてだったので,初めて見た時はこれがかの有名な榛名由梨と興奮したものである。榛名さんが宙組トップの凰稀かなめさん(このときのオスカル役)を含めた男役の方々に指導をつけるのだが,その指導がもう,とにかく私の言うことがすべてという自信に満ちている。「今正しいことやってんやからよくよく見なさいよ」「ちゃんとまねしていったらいいんやから」とみなさんを叱咤するのだが,こんなこと,たとえば普通の会社とかで後輩を指導するときに言ったら割と問題だろう。指導通りにできた時,「さっきと全然違うでしょ,こうなるの,こうならなあかんの」とも言っていた。一見各々の演技のオリジナリティを認めない,もはやワンマンな指導者なのではとも思えるほどだが,しかしこれはなんといっても『ベルサイユのばら』である。ナレーションでも言われる通り,この演目は宝塚の演目の中で最も「型」の遵守が必要となる。そのためには初演を演じた役者の意見が最も尊ばれるべきものなのだろう。もはや,歌舞伎に等しい。以前見た中村座の密着ドキュメンタリー番組で,生き字引と呼ばれる役者の意見が演出家や,下手すれば勘三郎の意見よりも尊重されていたのを思い出した。

3. 蘭寿とむさん退団

この番組は宝塚全体の紹介であると同時に,宝塚を取り上げるうえで避けては通れない「退団」の様子もサブテーマとして大きく取り上げていた。この番組の中で退団するのは,冒頭にも書いた蘭寿とむさん。

退団の心境について,蘭寿さんは「『いつか辞めるんだな』という気持ちから『私は辞めるんだな』という風に変わった」と語っていたが,これに関してはわかる気がする(私なんかがこんなことを言うのはおこがましい,ということは承知の上で)。時が満ちたな,というのは理屈ではなく感覚でわかる。そしてそれは自分にしかわからない。蘭寿さんの退団も,周りから見れば「もっといて」という気持ちになるのだろうが(退団の時はいつもそうだが),蘭寿さんが「辞めるんだな」と思ったのであれば,それが最善なタイミングであったということだろう。

蘭寿さんは宝塚音楽学校の競争率が過去最高だった年に首席で合格し,卒業までずっと首席を貫いたという逸話の持ち主である。それはもちろん蘭寿さんの持って生まれた才能によるところも大きいだろうが,同時にとても優等生タイプというか真面目な方と見えて,たとえば振り付けをすべて言葉で楽譜に書き綴っていたりする。トップは他と違うダンスをすることが多いので書いておかないと忘れるからと理由を語っていたが,きっとそれだけではないだろう。トップとしての自分のあり方も,言葉でリーダーシップをとるタイプではないので,まず自分が走ってその姿を見てもらうのだと語っていて,実力の他に人徳も大変豊かな方なのだろうと思われた。

蘭寿さんの人格が最も表れていると思われたのは,やはり宝塚大劇場での退団あいさつであった。

楽しかった。最後の瞬間に浮かんだ言葉は,この一言でした。

夢のために命を賭けられるこの場所で,男役・蘭寿とむを磨き上げられたこと,幸せな時間でした。

こんなにも魅力的で,こんなにも苦しく,こんなにも幸せな場所は,ないと思います。

宝塚歌劇団花組・蘭寿とむ,本日をもって宝塚大劇場を卒業いたします。 

 ラントム!!!!!!!!!!

もうこれだけで私は蘭寿さんの大ファンになってしまった。だって,いまだかつてこんな素晴らしい退団あいさつがあっただろうか?私は聞いたことがない。ファンが聞きたいであろうすべての言葉が込められている。優しさと誇りと感謝に満ちている。これは本当に,蘭寿さんのファンだったらもう,滂沱の涙であろう。私だって目頭が熱くなった。2回見て2回とも熱くなった。応援してきたジェンヌが「楽しかった」と言って退団するなんて,こんなに寂しくも誇らしいことはあるだろうか。「磨き上げられたこと」が「幸せな時間」だったというのも,蘭寿さんは押しも押されぬトップスターであるというのに,謙虚でまっすぐでとても好ましい。

実は私はこの番組を見るまで,蘭寿とむという方や花組についで少し思い違いをしていた。花組体制が蘭寿さんというトップへの盲信によって成り立っている宗教のように思えていて,そのせいで少しばかり苦手意識すらあった。しかしそんなことは全くなかった。蘭寿さんは実力にも人格にも富んだ,真のトップスターであった。私が蘭寿さんを生で見たのは2002年の花組エリザベート』の時ただ1回であり,蘭寿さんはそのころまだまだ若手であった。その蘭寿さんが,もう退団するなんて。観られなかったのが悔やまれるが,引き際があるからこそ宝塚は美しい。本当に本当に,おつかれさまでした。

宝塚にもジャニーズにも共通して言えることだが,こうした文化はとかく,特に一般の人々からは誤解を受けやすい。生理的に嫌悪する人すら多い。しかし,だからこそ,こういうドキュメンタリーの存在は,すでにファンである人間にとってもあまりその文化に明るくない人間にとっても,非常にありがたい。特にこの番組は,冒頭で一見異様な入り待ち風景を映すことによって視聴者の注目を惹きつけ,徐々に深淵に入っていって,最後は蘭寿さんの退団風景で感動させるという,いわば完璧な「動線」の把握だったように思う。「古参」も「新規」も同様に楽しめるコンテンツというのは,そうそうできるものではない。ぜひこれからもこういう良質なドキュメンタリーが見たいものである。欲を言えば,今度はファン文化に特化したドキュメンタリーも見たい。それこそNHKではコミケの特集番組をしていたように思うが,あんな感じで。

他にも龍真咲さんや壮一帆さんのところなど,書きたいことは山ほどあるのだが,これ以上書くと書きおこしに近くなってしまいそうなので,このあたりで筆を擱くことにする。

 これ,DVD出てるんですね。さっき検索して初めて知りました。

*1:これがおそらくこの時の「会服」と呼ばれるもので,きゃりーレクチャーによれば,規定のものを身に付けなければ列に並ぶことができないらしい。

*2:柚希礼音さんの愛称

*3:退団の際のしきたりであるらしい。

*4:かの名作『ベルサイユのばら』初演の時にオスカルを演じた伝説的な男役。