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「自分磨き」の世界史(仮)

声を大にして言いたい。ぼんやりと思っていることを絶対に認めたくないなら,絶対に言葉にしてはいけない。たとえば「好きかも?」くらいの相手がいたとして,「好きかも?」と周りに話した瞬間はっきり「ああ,私はあの人のことが好きなんだ」と自覚してしまうように,言葉にするというのはそれなりのリスクを伴う。

何が言いたいかというと,私は昨日「キラキラしたキャリア女性に憧れている」なんて断言してしまったがために,より一層キラキラしたキャリア女性(という漠たる概念)への憧憬を深めてしまったのだ。そして居ても立ってもいられず,今日はスカッシュの練習に参加したし,Ballet sculptという,なんかわからんがいかにも素敵な女性がやりそうなワークアウトのクラスが明日学校のスポーツセンターで開かれると知ってすぐに申し込んでしまった。自分磨きで目指せ☆仕事もプライベートもキラキラ輝く素敵女子!

さて,この「女子自分磨き」,何度も言うが,小馬鹿にしているわけではまったくない。だって私自身が大好きですもん,自分磨き。しかし考えてもみていただきたい。女性は何のために自分を磨くのか。特に海外に身を置いてわかることだが,常に美しく化粧を施して,センスの良い服に身を包み,7cmヒールの靴を履いた日本人女性*1は,世界的に見てもすでに高度に洗練されている。なのになぜ,女性はさらなる高みを目指すのか。「自分磨きに精を出せば出すほど男が遠ざかる」というのはよく言われることだが,だって,そもそも,自分磨きって男のためにするもんなのか。「自分磨き」というのは,ここ数年の間に日本のファッション雑誌が「自分へのごほうび」などの言説と同様に蔓延らせたガラパゴス的現象に過ぎないのか。いいえ,違います。古今東西,女性は自分磨きに余念がないのよ。

そしてこれが,私が博論で提唱しようとしていることである。とはいえもちろん「古今東西,女性は自分磨きに余念がないのよ」なんて言って博士号を取ろうと言うのではない。自分磨き,すなわち女性の自己実現の欲求は,近現代の都市文化・消費文化を説明するひとつの鍵であり,これまでイデオロギーで片づけられてきたものも実はこの「自己実現欲」で説明した方がわかりやすい場合もあるのでは?そしてその方が,よりニュートラルに現象を説明できるのでは?というのが私の仮説である。まだまだ考察中なので雑なところも多々あるにはあるが,以下,主に自分のためにまとめてみる。

 

She Hath Been Reading: Women and Shakespeare Clubs in America

She Hath Been Reading: Women and Shakespeare Clubs in America

 
  1.  たとえばこの,アメリカ各地に存在した女性のシェイクスピア読書会を扱った研究文献に書いてあることだが,道楽で開催していた読書会とはいえ,女性は大量のリーディングリストをこなさなければならない上,暗記もしなければならず*2,また自分の考えを小論文などにまとめて発表することも求められていたという。さらにその読書会は持ち回りで会のメンバーの自宅を会場にすることが求められることが多かったため,高度なハウスキーピングの技術すら必要であったという。ここで重要なのは,女性が「主婦」としての本分を逸脱することなく,むしろ自らの家事技術を最大限に披露でき,かつ知的な営みに関わることができたということであり,それもあってシェイクスピア読書会は隆盛を遂げたのである。
  2. そして,この「女性としての本分を逸脱することなく社会貢献/自己実現」がキーとなるのは,私のテーマ(今はそれ自体をテーマにしているわけではないが)であるアイルランド文化復興も同じである。サフラジェットと呼ばれる戦闘的な婦人参政権運動家がショーウィンドウを叩き割って逮捕されながら大声で参政権を要求していた時代,女性の地位向上のために何かしなければいけないのはわかっているがとてもサフラジェットのようなことはできないと葛藤していた女性たちに,アイルランド文化復興運動は受けたのである。あなた方は女性らしさを損ねなくても,家庭でアイルランド語を教えたり話したりすることで,母としての資質をもって自然に社会貢献ができます,との言説によって。
  3. また同時代のアイルランド少女小説には,天文学者になりたいと言い出したりロンドンでお姉さんの事業を手伝ったり,しかしどれも自分の性には合わずにフラフラしていた夢見がちな女の子が,アイルランドの田舎に帰って来て文化復興運動に生きがいを見いだし,結果その縁で結婚相手も見つかってハッピーエンドというようなのもあったりする。 

つまりこの3つの例すべてに共通するのが,文化活動は女性にとって単に(と言えるかはまだわからないが便宜的に)自己実現のオプションであり,その時イデオロギーはほとんど関係ない(アイルランド語復興運動の例のように,便乗してイデオロギーが現れたりはするが)。現状に不満があるわけではないが,でもいつも「何か新しいことをやってステップアップしたい*3」という女性の願いは,時にちょっと大きな存在感を持ってちょっと大きく世界を動かしたりもする。大変雑だが,こういうことである。私が言いたいのは。だからまぁ,都市史と消費文化の両方の側面から世紀転換期のアイルランドを(ナショナリズムと切り離して)見る,ということになる。

日本人が海外史をやるというのは,もちろん不利な点が多い。前提知識の量がそもそも圧倒的に足りない上,言語も違う,文化も違う,というのはなかなかなハンディである。でもその分,外国人だからこそ気づけるというようなことも多いし,我々はそこをこそ切り札にしていかなければいけないんじゃないかと常々思っている。私が上に書いたような「文化活動を自分磨きで説明してみよう」構想にしろ,日本で「自分磨き」文化の隆盛に立ち会っていなければ,おそらく思いついていなかったことだろうと思う。繰り返しになるが,日経WOMANならびに各種ファッション誌には感謝してもしきれない思いでいっぱいである。博論をきちんと書いて,それを本にしたりすることができた暁には,スピンオフとしてぜひ『「自分磨き」の世界史*4』を,岩波ジュニア新書か講談社現代新書か,もしくは日経WOMANの連載ででも,著したいものである(そしてゆくゆくは目指せウーマン・オブ・ザ・イヤー)。

と,夢は膨らむばかりだが,まずはこの雑な仮説を証明しなければ。そういうわけで私は明日も,iPadに入れた史料と,それをデータベース化したExcelシートとひたすら見つめ合うのである。あ,でもそうだ,明日はBallet Sculptに参加するんだった。わくわく。で,Ballet Sculptって何?

*1:あ,私のことではないっすよ。もっとも日本にいたころは7cmヒールを崇拝していたが。

*2:シェイクスピアの暗誦は男女問わず英語圏インテリの嗜みです。

*3:そしてこの「ステップアップ」が必ずしもキャリアに直結するものではない場合が多い,というのも特筆すべきかもしれない。たとえば会社帰りに習っているベリーダンスでプロになろう,というOLさんが少ないように。

*4:といってもも精々欧米が限界なので「世界史」はふさわしくないけども。書くなら東洋史もやらなきゃ。