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アナログ派宣言

私は先日,はたと気づいた。

デジタルなんてダメよ!

いや,いきなりジャズに目覚め,LPじゃないとどうのこうのとか,そういうわけではまったくない。データ。データ。論文のデータの話。データもそうだし,本や論文読んだメモもそうだし。

これまで私はほぼすべてのものをデジタル化して保存してきた。読書メモはWordでとり*1,史料の整理はもちろん分析はExcelで,これを繰り返してほぼ3年間,そのデータをきちんと整理整頓できてきたか。いやそんなはずはないのである。あるデータはこのPCに,またあるデータは別のPCに,さらにあるデータは外付けハードディスクに,またあるデータはUSBに。歴史学では「史料の海」という便利な言葉があるが,*2まさにそれ。データ容量に目がくらみ,肝心のデータはどこにあるやらわからないことが増えた。いや,もっと細かく言えば,「え,この時,どう考えてこうなったんだっけ……?」というのが増えたのだ。データは綺麗な結果だけは残せても,ぐちゃぐちゃした思考の過程までは残せない。しかしその思考の過程が必要になることが最近増えた。博論執筆中というのは,おそらく,1週間前の自分と今の自分とは別人くらいに考えた方がよいのだろう。それくらいああでもないこうでもないと四六時中考え続けているし,考えはすぐに翻るが,しかしまた翻ってもとに戻る。この「翻ってもとに戻る」時,「あの時どう考えてこういう考えに至ったのか」という「過程」が必要になるのだ。数学の計算式の要領で。そしてそのとき,答えしか書いていないと痛い目を見ることになる。私は現在,痛い目を見ている。そもそも何がデジタルだ。私は文学部の人間ですよ。日本においてなら,博論を原稿用紙に,それも旧仮名遣いで,いや,旧仮名遣ひで手書きしても何とも思はれない人間のはづである。*3

 そこで私は,一番大切だろうと目されるデータや,思考の過程はすべて手書きでノートに書き残しておくことにした。*4ノート,と言っても百均のスケッチブックみたいなやつで,線も引かれていなければ方眼もドットもない,メモ帳の大きいもの,みたいなやつである。そしてそこに,今見ているデータのメモやらそこで考えたことやら,果ては「この論文をどのように展開するか」案まで,なんでもいいから考えたことは全部書くことにした。これ書いたらあとで見返したとき恥ずかしいかも,というものまで書くことにした。やったこと,それによって得られる推論,今ネックになっていること,明日やることなど,すべて書くのだから,理系の実験ノートみたいなものかもしれない。でもおかげで,ずいぶん頭はすっきりした気がする。それに,茫洋たるPCに放り込まれるのと違ってすぐに見返すことができるから,時間の無駄も減ったように思う。PCなら検索できるしー,とか思っていたちょっと前の私に言いたい。検索くらい自分でしやがれ。今頃気づいたのだが,私は自分が思うよりどうもずっと感覚的な人間であるらしい。本のどこに書いてあったかとか,図書館のどこにあったかとかを,空間的に把握していることが多い。あと「何日ごろに考えたんだけどなー,あの時雨が降っていて院生室に誰がいて」云々というような周辺の風景を覚えていることも多いので,まさか「雨が降っていて院生室に誰がいた」とかまでは書かなくてもいいだろうが(いや,書いた方がいいだろうか)せめて日付くらいは書いた方がいいだろう。思いっきり今の時代とは逆行するが,高らかに宣言したい。自分の手で書き記す研究ノートは,サモトラケのニケよりも美しい。*5それにしても,自分の思考パターンがどうかって,案外自分で気づかないものなのですね。これは新たな発見でした。

おまけ。今日は件のトムヤムそうめんを作ってみた。トムヤムペーストと大量のコリアンダーで掻き消そうとしてみたものの,やはりラム臭は完全には消えなかった。それにしても,トムヤムクンはおいしい。「すっぱからい」の味覚を考えた方にノーベル生理学賞を。

*1:前はメモ帳を使っていたのですが,脚注をメモしたりしなければならない時にWordがやはり圧倒的に便利ということもあり,やめました。

*2:たいてい否定的な意味で使う。「史料の海に溺れる」とか。

*3:むしろ教授陣は旧仮名遣ひの遣ひ手が出るとお喜びになるとのうはさも聞ひてゐる。まつたく,人文系と言ふのは。

*4:日経WOMAN読んだから「手書き最高!」という思考回路に陥っているわけじゃないですよ。

*5:なお,本日のタイトル「アナログ派宣言」は,「共産党宣言」もしくは「未来派宣言」のノリで叫んでくださって結構です。