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後藤さん殺害のニュースに寄せて

(*こちらは2/1の朝に書いております)

後藤さん殺害のニュースが入ってきてあまりにも衝撃的で,*1落ち着くためにとりあえず寝てはみたものの,起きてもまだショックだった。こんなにも簡単に,パフォーマンスの一環として殺人が起こるんだな,と呆然とした。

いろんなところでコミュニケーションが不全に陥っているのも虚しかった。テロリストとして糾弾していることにしたって,あちらはあくまで聖戦の戦士であってテロリストなんて自己認識はないのだし,噛み合うはずもない。あちらがSNSを活用しているというのも皮肉に思えた。漠然としたつながりや双方向の交流をユートピア的なものとして謳ってきたSNSは,これほどまでに暴力的に一方的にもなりうるのだということが示されたということになるだろう。それは現代の誇る「最高」のシステムの敗北を如実に示すものでもあるかもしれない。実は私も昨日,ショックなあまりにいろいろと見ている過程で後藤さんの痛ましいご遺体の写真を目にしてしまった(それでさらにショックを受けたのだが)。つまりSNSの敗北は,こうしてテロリストたちに活用されているということだけを指すのではない。一般のユーザーが面白がって,あるいは目立ちたいというただそれだけの欲望のために,こうした画像や情報を拡散したりするということもまた,SNSの敗北だろう。調べている最中,「処刑の動画が見たいのですが,どこにいけば見られますか」というような面白半分の質問も多く目にした。数年前に表参道で目にした光景を思い出した。人が倒れている事故現場に人だかりができていて,野次馬はみんな携帯のカメラを構えていて,もうそこまではよくある光景なので私も驚きもせず通り過ぎようとしたのだが,その時「えっ,あれ,死んでんじゃないのぉ?」といううれしそうな女性の声が耳に飛び込んできた。これで私は一気に動揺してしまった。人の死はただの話題に過ぎないのだと実感した。

もうひとつのコミュニケーション不全,「自己責任」論についてはいろんなところで問い直されているようなので,ここで私が改めて何かを述べるまでもないのだが,別に中東に限らず日本を出るということ自体が危険なことなのだ。しかし今の時代,日本を出る必要がないという人の方が幸せなのではないか。たとえば心霊スポットに行くようなつもりで紛争地帯に行ったのならまだしも,海外に出るということがそれなりの危険を伴うということなんて,海外に行く人間はみんなわかっている。まして後藤さんはジャーナリストだったのだから,今シリアに行くということがどういうことか,誰よりもよくわかっていただろう。日本にいられるのは本当に幸せなことだし,可能なのならずっと日本を出ずに生きていきたい。でも必要があるから,海外にいるのだ。私のような,傍から見れば遊学にしか見えないような留学生だって,一応使命感を持ってここに来ている。なぜ今,なぜそんなところにと言うが,今,そこでしか見られない/知れないものがあるし,だいたい「今」じゃなくても「そんなところ」じゃなくても十分起こりうることなのだ。しかしそんなことは,ぬくぬくと日本で過ごしながら「自己責任」なんて甘ったれたことを言っている人たちには決してわかってはもらえないだろう。本当におめでたいご意見だなと思う。

そしてこれを書いている私も,ショックとはいえ,普通に起きて普通に食事し普通に化粧している。いつも通りピアノも弾くし,学校にも行く。邦人が遠く中東で殺害されたというニュースは,遠くて近く,それでいて近くて遠い。ただ,ご冥福をお祈りしますといろんなところに書いてあるけれど,ご冥福なんて今はとても祈れない。

*1:昨日(1/31)はどうしてもここまでしか書けなかった。