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「読書と人々」シリーズ第1回:アイルランドでは一般市民が専門書を読むんだぜ

週刊はてなブログ(最近はこんなのもあるんですね)の特集が「本を愛するブロガーたちの素敵なエントリー」だった。私が愛読しているあややさん(id:moarh)のブログの記事が紹介されていたらしくて知ったのである。*1


本に出会う、本を広げる。本を愛するブロガーたちの素敵なエントリーを集めました。そうだ 本屋、行こう! - 週刊はてなブログ

何を隠そう,というか,何度も書いてきたことだが,私は読書史を専門にしている。そこで私も遅ればせながらではあるが,この記事に触発されて,「読書と人々」について考えたことを書いてみようと思うのである。とはいえ,いかに気軽な日記と言えど専門にかかわる。到底1回で書ききれそうもないので,いつまで続くか何回あるかわからないシリーズの,今回は1回目とでも位置づけることにする。ここまでで面倒臭い雰囲気がそこはかとなく漂っている*2と思うので,「あー,そういうのいいです」と思われる方はすぐにブラウザバックすることをおすすめする次第である。この門をくぐるものは一切の希望を捨てよ。かといって畳んだりもしませんよ。

アイルランドに来て驚いたことのひとつに,人々の読書量がとても多いというのがある。それもただ多いというだけではなく,かなり幅広い。話題の本やベストセラーにはみなさんすぐに目を通し,古典は言うに及ばず,さらにレビューまで余さずチェックする。特に歴史に関しては,一般市民が専門書を読む。これは歴史家を目指してこっちに来た私が瞠目したことでもあった。だって,書店に専門書が平積みされているのだ。歴史小説じゃないんだよ。歴史書だよ。おかげでワクワクと消費が止まらない。

びっくりした理由は2つ。まず,言うまでもないことだが,それが最新刊でなおかつ超話題作とかでない限り,日本の書店で目当ての専門書にたどり着くことは難しい。よほど大きい本屋に行くか,大学の書籍部に行くかしないと無理だろう。しかしこちらでは,専門書を手に取って見ることができる。これは本当に助かる。なぜなら日本では,内容を確認する前にまず買わなければならなかったのだ。それも私は外国史なので,Amazonで手に入れば「超」ラッキー,そのほかはAbebooks,それでなければ……などといった感じで。*3しかも運良く買えたからと言って,それが有益なものであるとは限らない。おまけに専門書は馬鹿みたいに高い。「また1万円無駄にしたよ」「安い方じゃん」などという,パチンコ帰りのような会話が頻繁に聞かれていた。それがこちらでは,まず買う価値があるかどうかを書店で検分することができる。これなら図書館でいいなとか,これなら手元に置いておいても損はないな,とか。そしてその場で手に入る。この幸せをわかってくれる人はこの世の中に何人いるだろう。海外のオンライン書店に発注し,論文執筆に間に合うかどうかを一日千秋の思いで待つあの苦しさ。これを分かち合える人も,この世の中に何人いるだろう。*4そういうわけで,書店で専門書が買えるというのは,我々のような人間にとっては本当に幸せなことなのだ。アイルランドの人々には感謝してもしきれない。日ごろから専門書を読んでくれてGo raibh maith agaibh.*5

それからもうひとつびっくりしたことは,こちらでは歴史家が金になる職業であるということだ。こんなことを言ったらはしたないかもしれない。しかしそれはすなわち,世の中にそれだけ必要とされているということでもあると思う。歴史書の最新刊は書店の一番目立つところに,下手すりゃショーウィンドウに陳列され,さらに最新刊でなくても,書店員が設定したその週のトピック*6に沿った本は平積みになっていたりする。つまりこちらの人々にとって,歴史家は人気作家にも等しいのだ。フランス語で,ドイツ語で,「歴史」はそのまま「物語」と同じ言葉で表されるが,そういった意味での歴史と,「物語の語り手」としての歴史家の必要性を改めて考えさせられた。一般の人々も楽しめる専門書というのは,歴史に限らずすべての学問分野で必要だと思う。*7

しかし,アイルランドの人々にしたって,昔からこうだったわけではない。むしろ,逆である。特に私が専門にしている19世紀後半,*8一般市民が好んで読むものはpenny dreadfulと呼ばれる,センセーショナルさだけが売りの三文小説が主だったという。そういう「低俗な」ものがイングランドから大量に流入し,人々の知的水準が下がることに対する懸念が,アイルランド文化復興運動(私の研究テーマのひとつです)を生んだひとつの要因であった。リヴァイヴァリストたちは目標のひとつとして,「非読者人口を読者人口に変える」ことを掲げていた。また文化復興運動の柱のひとつである演劇運動も,もとはと言えば「本なんか書いたって誰も読まないから」というところから始まったものであった。アイルランド文化復興運動は,アイルランド語話者人口が増えていないということを根拠に「失敗だった」と結論付けられることも多いけれど,少なくとも今,一般市民がこんなに本を読むことを考えれば,成功だったととらえてもいいような気がしている。アイルランドは取り立てて豊かな国ではないが,精神的には日本人よりよほど豊かなんじゃないかと思うことが多くある。私は基本的にアイルランドを褒めないのだから,これは本音と受け取っていただいて大丈夫です。どこからも金品は受け取っておりません。

読書史をやるようになって,改めてこれらのことを考えた時,つくづく日本もこうであればいいのになぁと思った。歴史家として儲けたいというのではない(しかし,儲けたくないわけではもちろんない)。そもそも,歴史に限った話でもない。より多くの日本人が,より深くより幅広く読書を楽しむようになればもっといいのにな,と思っているのである。好きなジャンルだけを読むのじゃなくて,好きな主義主張だけに耳を傾けるのではなくて,もしくは最初から難しいと敬遠するのではなくて。そして私が研究している19世紀後半のアイルランド,つまりちょうど人々が「本を読む人々」へと変わっていく過渡期のアイルランドが,もしかしたら何かヒントをくれるのではないかと思っている。

学問なんて何の役にも立たなくても尊いし,むしろ「役に立てたい」なんて思いが先走るのは邪念ですらあるときもあるかもしれないが,それでも役に立てられるならそれに越したことはない。特に歴史なんて,直接なにかを変えることができる可能性は極めて少ない。だからこそ,今やっている研究が少しでも何かの役に立つなら,これ以上に幸せなことはないなぁと,そう思って今日も史料を見つめている次第です。

*1:なお,あややさんのブログ『それは恋とか愛とかの類ではなくて』は,ご本人のお許しを得て右サイドバーのリンクに貼らせていただいておりますので,どうぞみなさまご覧ください。素晴らしい記事の宝庫です。

*2:一言ご注意申し上げておくと,特に大学院生が「それは自分の専門にかかわる」という旨のことを言った際(たいていその人の目は据わっています。そして今,私は自分の顔見ているわけではないけれど,たぶん目が据わっていると思います)はほぼ例外なく話が長くなりますので,逡巡することなく,またお気遣いなく,一目散に逃げることをおすすめします。

*3:卒論を書くときなど,まず叩き込まれるのは文献をどのようにして入手するかということであった。アクセスする価値のあるオンライン書店のリストとともに。

*4:もちろん同業の歴史の研究者の方はわかってくださることと思うが。

*5:アイルランド語で「(複数の人間に対する)ありがとう」。ただし,アイルランド語は少数言語です。

*6:たとえば前に見たのだと,lead your lifeというテーマであらゆる「リーダー」たちの伝記や研究文献が取り上げられていた。

*7:対して日本ではすぐに解説本みたいなのばかり出るが,あれは本当にやめた方がいいと思う。この前帰国した時も,時流に乗ってトマ・ピケティの解説本が山ほど出ていたが。「原典読んでもどうせわからないだろ」と人々を愚弄しているに等しいと思う。

*8:19世紀前半までは識字率さえ低かった。