読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Fifty Shades of Grey

公開前から大変話題だった『Fifty Shades of Grey』をさっそく公開初日に見た。日本では確かR15指定でしたっけ。アイルランドでは18禁でした。さすがカトリック国。


Fifty Shades Of Grey - Official Trailer (Universal ...

これ,ものすごくおもしろい題材を扱っていると思っていて,私は好奇心よりもアカデミックな観点から興味があったのである。まず,原作はもともと『トワイライト』シリーズのファンフィクションとして書かれたネット小説(平たく言えば「二次創作」)であるということ。読者がその読書経験をもとに執筆するというのは,読書史を専門にしている者としてとても興味深い。つまり「読む」ことと「書く」ことが,対置の関係にはないということだ。次いで,「マミーポルノ」と揶揄気味に呼ばれる通り,作者が女性で,しかも主婦であるということ。私はジェンダー史にも足を突っ込んでいる人間である。さらにその女性作者が書いた物語が,平凡な女子大生がSMに目覚めるというようなお話であるということで,私は原作こそ読まなかった(図書館で借りようとしたのに「本が見つからない」とかで何度もキャンセルになった)ものの,この物語についての論文まで読んで挑んだのである。*1

映画を見た純粋な感想は,ポリティカル・コレクトネスを注意深く追求した女のロマンという感じであった。ただ,ポリティカル・コレクトネスを追求しすぎると,往々にしてつまらないものになってしまう。この映画/物語では「女性を性的従属者として描かない」という意図がかなり明確で,それがあまりにも前面に出ている,というか「そうでなければならない」ような扱い方をされていることがなんだかつまらなく感じた。グレイと主人公アナは"Dominant"(トップ)と"Submissive"(ボトム)の関係になること*2を「契約」として結ぶのだが,この契約に応じるか応じないかを選ぶのはあくまで「ボトム」である側のアナの自由であり,さらに契約の内容については「ビジネスミーティング」の席を設けてのネゴシエーションの余地が与えられている。肉体的な苦痛を与えられた時,グレイのもとを去るのもアナの自由である。つまりここで描かれているのは完全に「プレイ」としてのSMであり,アナはセックスにおいてこそ「従属的(submissive)」ではあるけれども,それはあくまで役割であって,グレイとの関係という面においては完全に手綱を握っている。もちろんそれ自体は全然悪くない。しかしそれがあまりにも強調されるので,なんだか興醒めしてしまう。アナもアナで,グレイと関係を持つ前は処女だったにも関わらず,グレイに"Enlighten me, then(じゃあ教えてちょうだい)"などと挑発的なことを言ってのけたりする(しかしこの台詞はだいぶ気に入りました)。もっと映画の最後に,「ああ,あの関係は一見するとグレイがトップでアナがボトムに見えるけれども,本当は逆だったんだな」と気づくような作りにすることはできなかったのか。むしろこういうことに気を配りすぎているせいで,SMプレイが「アナを悦ばせるためのグレイのサービス」になってしまっており,逆に美化されていた嫌いがあるのは皮肉なことである。たとえばレイプシーンなどで,女性が「嫌がりながらも最後には喜んでいる」ように描かれることが問題になることがよくあるけれども,SMもそうなんだと思われたらどうするのだ。不慣れな人間が安直に手を出したらただの凌辱だろう。*3

そのことも含め,これを見ながらしきりに連想していたのは日本の「女性向けAV」の議論だった。「男性目線」でのアダルトビデオ作成にいかなる弊害があるかということはもう長く議論されてきたことだし事実だと思うし,女性の視点から女性の快楽を追求した映像が作成されるというのは歓迎すべきことなんだろうと思う。とはいえ私は件の女性向けコンテンツを見たことがないのだが,聞いた話だと行為にいたるまでの過程などについての描写が映画のように細やかなのだという。また,避妊具をつけるシーンが映し出されているというのも特徴のひとつであるとか。*4で,この映画,あるんですよね,つけるシーンが。ああ,なるほど,これがつまり「女性向けポルノ」か,と妙に納得するとともに,上に書いたようなわけで私は初めて「避妊具をつけるシーン」を見たのだが,うーん,要る?これ。ポリティカルにコレクトかどうかはこの際置いておくとして,若干居たたまれなかったですよ,私は。もし「要る」という前提で話をするとしたら,グレイが避妊具の包装をワイルドに歯で開けるのはますます,どうかと思う。避妊具は完全な状態で使うことが第一。破れたらどうすんの。

そういうわけで,件の論文で筆者van Reenenが述べている通り,この物語も「女性主人公の視点から見たありきたりな恋物語」(227頁)に終始しているという面があることは間違いなかったと思う。グレイは過去の出来事がきっかけで,このようにしか女性と関係を結べなくなったという設定なのだが,それに対してアナが「私がなんとかしてみせる」と対話を試みるのも,もういかにもというか,もはや映画ですらなく恋愛関係において女が一番陥りやすい罠である(「私にならこの人を変えられる」と思い込む)。恋愛映画好きの私が食傷しているのだから間違いない。人は,変えられません。*5

ただ「ありきたりな恋物語」なのはいいことでもあって,セリフ回しは軽妙でそこだけ見ればラブコメのようだし,大胆な性描写も,ただのラブストーリーの一部分である。家族と見るのは嫌だが,カップルで見る分にはまぁ許容範囲かもしれない。ただし安易にSMに走らないように。まして避妊具の袋は歯で破らないように。

*1:Dionne van Reenen, "Is this really what women want? An analysis of Fifty Shades of Grey and modern feminist thought" in South African Journal of Philosophy, 2014, 33(2): 223-233. 私が大学図書館を道楽で使っていることは既に書いたけれども,こうして学校のデータベースを道楽に使うのもものすごく好きなのである。だってこんな素晴らしいデータベースを無料で使えるんですよ。使わなくてどうする。映画見たあととか,よく論文を漁っています。

*2:このへんはいかんせん私に知識がないのでWikipediaの該当ページを参照しながら書いております。「トップ」と「ボトム」の用語法とか初めて知ったわ。

*3:たとえばグレイはアナを初めて鞭で叩く時,アナの手のひらを叩いてみせ,「痛くないだろう?恐怖はすべて君の頭の中で作り出されたものなんだ」みたいなことを言うのだが,これも見ようによっては誤解を招くだろう。

*4:女性向けポルノを扱ったこの記事なんて大変面白いと思うので,ご興味おありの方はぜひご覧ください。筆者は東大のジェンダー論の大家,瀬地山角先生です。

*5:ちなみにこのことについてvan Reenenは,古くは『風と共に去りぬ』や『嵐が丘』に見られるような,「ワイルドな悪い男」を手なずけようと女主人公ががんばる物語の潮流を汲んでいると述べている。