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デジタル不信

Virtual Note Taking Environmentとかいうもののワークショップがあるというので出たのだが,想像していた通り,いや想像以上に時間の無駄だった。ワークショップの内容もさながら,体験させられたシステムは素人目に見てもまったくもって洗練されておらず,こんな状態でよくもまぁ人に使わせようという気になったものだ,と呆れるばかりだった。そもそもシステムを使うためにはまず特殊なアカウントを作らねばならないのだが,そのアカウントを管理する会社がドイツの会社であるらしく,指示がすべてドイツ語である。私のは何か動作がおかしかったので助けを呼ぶと,説明役だったジュリエット・ビノシュ似の女性(フランス人)は「え,私ドイツ語わからないの」と言い出す始末。スキャン画像はpnggifでなければ取り込めず,テキストはコピー&ペーストができない(ショートカットキーを使えと出る)。こんなこともできます,あんなこともできますと繰り返されれば繰り返されるほど,私はやる気を失った。午後の貴重な2時間をこんなことに費やしたかと思うと情けない。

前にも書いた通り,私自身はアナログな人間なので,こういうワークショップに出るのはただただ,将来教えるときのためである。しかしこういうシステムを実際に使ってみて,本当に便利だから使ってみたい,と思ったことが一度もない。Endnoteも文献を管理する目的でしか使ったことがない。だいたい,最先端の技術(私にはとてもそうは見えなかったけれど)を使って改善しようとしているのがノートテイキングって。いったい何年学生をやっていると思っているのか。それこそ日経WOMANの方がよっぽど「やってみたい」と思えるノート術を見せてくれる。

こういう人たちを私がいまいち信頼しないのは,彼らがすべてをデジタルに一元化しようとしている(ように見える)からだ。デジタル人文学とかかっこいいこと言いますけど,人文学こそデジタルとアナログの共存が絶対に必要な領域である。ある程度はデジタル化してとても便利になるけれど,それ以上のことをやろうと思えばどうしても自分の手で足で探さなければならないのが人文学である。私も本格的に史料収集をしたりするようになって学んだのは,オンラインカタログを見るよりはアーキヴィストと仲良くなって雑談する方がよほど効率的だということであった。*1しかし「アーキヴィストといかに仲良くなるか」とか「いかに自分の研究を伝えるか」とかは誰も教えてくれない。でも私は,身もふたもないことを言うと,人文学なんてそれでいいのだと思っている。排他的にしろというわけではないが,こんな金にもならない学問,本当にやりたい人間だけが集まってきて,手取り足取り教えてくれる先人もおらず,見よう見まねで覚えていくというのでいいんじゃないか。徒弟制とはよく言ったものである。

あと,こういう「デジタル人文学」界隈の方々がよく目玉にする「研究をシェアする」とかいう概念もあまり好きになれない。*2アウトリーチは大切なことだと思うけれども。SNSが普及してからというもの,なんでもかんでもシェアだけれども。シェアすればみんなハッピーライフなのか,違うだろう。その結果どうなったかって,誰かの「シェア」に頼らなければ情報が入らないという無様な結末である。もはやオーウェルの世界ですよこれは。見境なくあれこれシェアするよりも,本当に必要な情報を見極めてそれを入手するという方が大事なんじゃないのか。

と,偉そうなことを言ってはいるけれども,今日は私自身が「本当に必要な情報を見極めて」いなかったためにこんなバカみたいなワークショップに出席してしまったわけなので,それは真摯に反省している。今度から「空席あと2席!」とか言われても,ちゃんと冷静に考えるようにしよう。昔,渋谷の東急フードマーケットで友達の家に持っていくケーキを選んでいたとき,「期間限定で出店しております」というアナウンスを聞いてそちらの列に並びなおしたことがあったのだが,その瞬間,ケーキ選びに付き合ってくれていた男友達(電通に内定していた)に「俺,今,初めて広告で人が動く瞬間を見た」と言われたのだった。あれから7年くらい経つが,何も変わっていない。情けない。

*1:そもそもオンラインカタログと言っても,オンライン化されているのはほんの一部であることが多い。

*2:今日も確か,イントロでそんな旨のことを言っていた。私はその言葉を聞いた瞬間にやる気が失せた。