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恐ろしい美が生まれている:『In Fact』と『Dead or Alive』

 ようやくKAT-TUNの『Dead or Alive』を聴いた。『In Fact』に引き続き,戦慄した。

しかし私が『Dead or Alive』を聴くのはこれが初めてではない。 初めて聴いたのは,昨年のカウントダウンコンサートであった。

Dead or Alive」とはKAT-TUN自身の置かれた立場でもあっただろう。一昨年のカウントダウンコンサート,そして昨夏の「come Here」コンサートツアー,さらに昨年のカウントダウンコンサートと,4人体制になってからというもの,今までにも増してすべてがグループとしての生死を分ける挑戦であったのではないか。私もまた,「come Here」がホール・アリーナ規模での公演だと聞いた時にも少し戸惑ったし,昨年のカウントダウンもチケットが余り気味であったということだったので,いちいち心配していた。しかしそれは昨年のカウントダウンコンサートを見たことで,いとも簡単に払拭された。私は京セラドームの3階,足もすくむほどのいわゆる「天井席」でこの公演を見ていたのだが,その席の遠さも全く気にならないような「ドームの名手・KAT-TUN」の演出に魅了された。そしてクライマックスで,私は自分の心配が杞憂であったことを思い知り,それどころかKAT-TUNは4人体制になってついに並ぶもののない「崇高」さを手に入れたのだと確信した。その瞬間こそ,この『In Fact』から『Dead or Alive』へと至る流れであった。ここで言う「崇高」とは,ただありがたいとかそういう意味ではない。私がここで言いたいのは,アイルランドの哲学者エドマンド・バークが,著書『美と崇高の観念の起原』において提唱したような意味での「崇高」である。

 <前略>苦と危険の観念を生み出すのに適したもの,換言すれば何らかの意味において怖ろしい感じを与えるか,恐るべき対象物と関わりあって恐怖に類似した仕方で作用するものは,何に拠らずthe sublimeの源泉であり,それ故に心が感じ得る最も強力な情緒を生み出すものに他ならない。私があえて最も強力な情緒というのは,苦の観念は快の部類に入る観念よりも格段に強力であると私が確信しているからである。*1

バークがここで「崇高」の根底にあるものとして第一に挙げるものこそ「恐怖」であり,しかしそれは同時に「最も強力な情緒を生み出すもの」でもある。「光が散らばっては影は白く染まる/何万回目の夜が去って霧立ち上る/一寸先も見えず天地の境もない/何千万の星の瞬きもとける」,『In Fact』の冒頭に広がるのは極度に抽象的で,さらに不安になるような黙示録的な世界である。バークは「崇高」の条件として「曖昧さ」も挙げているが,まさにこの歌詞は「恐怖」と「曖昧さ」が形而上学的に交じり合うという点において「崇高」である。私がこの冒頭を聴くとき,いつも思い浮かべるのはこれもアイルランドの詩人,W・B・イェイツの『再来(The Second Coming)』という詩の冒頭である。「広がりゆくガイアの渦の中で旋回する/鷹には鷹匠の声は届かぬ/ものごとは散らばり,中心は己を保つことができず/無秩序のみが世界に広がりゆく」。イェイツはこのあと,『イースター1916年』という詩の中に「恐ろしい美が生まれている(Terrible beauty has been born)」という有名すぎる一節を書き入れた。「恐ろしい美」,私にはこれこそ現在の4人体制のKAT-TUNを象徴するような言葉に思えてならない。

そして今回の『Dead or Alive』。ハリウッド映画の映画音楽のようなイントロに最初から圧倒される。個人的に歌詞は『In Fact』の方が好みだが,亀梨和也主演のスパイ映画『ジョーカー・ゲーム』の主題歌であることもあって,本当の自分を見せることのできない孤独とそれに立ち向かっていく勇壮さがテーマになっており,それは孤高の存在であるKAT-TUNにとても合っているように思える。KAT-TUNもNEWSと同じく紆余曲折を経験しているが,彼らは決して弱音を吐くことを許されない存在であった。KAT-TUNは常にジャニーズ事務所の異端として,悠然と高みに立っていなければならなかった。このシングルは新体制になってから3枚目の作品ではあるが,「挑んだGAMEはリセットできない/背負った闇も連れて」という歌詞をKAT-TUNからの挑戦と受け止めるのは考えすぎだろうか。

イェイツが「恐ろしい美」に込めた意味には諸説ある。この詩はイースター蜂起というアイルランド近代史上の革命的な事件を描いた詩であり,世の中が変わっていくことに対しての恐れと同時に,「美」と形容せざるを得ないような慄きもまた,この一言で巧みに表現されている。ユニット結成当時から「ジャニーズらしくない」という意味で「怖い」と評されてきたKAT-TUNは,ジャニーズの中で「崇高」に最も近い存在に他ならない。「快の部類に入る感情よりも格段に強力」なぞくぞくするような感情を,彼らがこれからも喚起してくれるよう,期待するばかりである。KAT-TUNにはファンに寄り添ってなどくれなくていい。むしろファンを置き去りにどんどん高みに登って行ってくれること,それこそがファンの望みであるように思う。

お知らせ

家族がダブリンに来ますので,明日から4日間ほどこの日記をお休みさせていただきます。

*1:エドマンド・バーク『美と崇高の観念の起原』43頁。

崇高と美の観念の起原 (みすずライブラリー)

崇高と美の観念の起原 (みすずライブラリー)