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ジャニオタ短歌2首:「逃げてもいいよ」「幸福に嘘を信じたふりをした」


最近読んだジャニヲタブログ30選 - それは恋とか愛とかの類ではなくて

あややさんのこちらの記事で30選に選出されるという栄誉に浴した。紹介されている他のみなさまのブログと違って,私の日記は本当にただの「日記」であってジャニーズのことだけに特化しているわけでもないというのに,うれしい限りである。読んでくださっているみなさま,これからもどうぞお付き合い願えれば幸いに存じます。日記なのでほぼ毎日更新しており,特にお知らせ等はしておりませんが,ジャニーズ関係のことや映画や本の感想について書いた時にはTwitter連携機能を使って通知しています。

で,この中に選出されている他の記事のうち,とても面白かったのがこちら。


短歌結社「明星」第二回歌会 お題:「ジャニーズJr.」 - こみねもすなるだいありー

実は私は「NHK短歌」を毎回録画し,『現代短歌』や『短歌』を購読する短歌好きである。とはいえ自分で詠んだことはなくて,「読む」専門なのだが。一般的な短歌についてはまた稿を改めるとして,短歌好きかつジャニオタ(そしてジャニーズJr.好き)の私はこの記事を熟読せざるを得なかった。こんな記事があることを,こんなブログがあることを,こんな短歌結社があることを,今まで知らなかったのは一生の不覚である。*1なので遅ればせながら,今回はこの記事に載っている短歌を2首厳選し,勝手に論評してみようと思うのである。 

透明なショーウィンドーの奥で君 笑ってるんだね 逃げてもいいよ

この歌に対して,芦屋こみねさんの選評は以下のようになっている。

<前略>特にガラスがはめ込まれているわけではないのに、彼らがフィギュアみたいにコレクションケースに入れられて、売り物として陳列されているような感覚。彼らの笑顔はいつも見えないショーウィンドーの中にあって、彼らに対して「逃げてもいいよ」=「あなたの好きなところへ行きなさい」と促す最後が切ないです。ステージの上に居てほしい、ショーウィンドーの中にいてほしい気持ちはあるけれど、彼らの意思があるのなら、そこから抜け出してもいいよ。という。

なるほどそういう風にも読み取れるが,私はこれを読んで,かなり違う印象を持った。ジャニーズJr.は,および芸能人(ジャニーズに限らず)は,好むと好まざるとにかかわらず「ショーウィンドーの中で笑う」宿命を背負わされている。タレントとファンの力関係において,タレントが強いように思えるが実は逆であり,タレントは常に一方的に消費される立場にある。飽きられれば捨てられる。それなのに,選ばれることを信じて笑っていなければならない。「笑ってるんだね」はそんなタレントに対する憐憫と(無意識な)優越感の混ざり合った感情であり,最後の「逃げてもいいよ」は,私には「逃げられるものなら逃げてみろ」という宣戦布告のように思えた。壁を背にして追い詰められた獲物に笑みを浮かべてじりじり近寄っていくような,嗜虐的な快感とでも言おうか。ファンの注目を一身に浴びる立場は疲れるし嫌気がさすけれど,その快感に慣れてしまったら手放すのはなかなか難しい。逃げたいでしょう,逃げてもいいよ?それができるなら。

この解釈は少し恣意的かもしれないが,私が読んだように「5句目でガラリと雰囲気を変える」というのは,現代短歌,それも前衛短歌にかなりよくみられる手法である。たとえば有名なところだと,塚本邦雄「馬洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人戀はば人あやむるこころ」というのがある。上の句は純粋に馬を可愛がっているようにも見え,下の句も「人戀はば」と始まるのにいきなり「人あやむるこころ」と締めくくられる。えっ,と呆然とするような歌。愛するということは命を奪うに等しいことなのだという残酷な現実を,歌の最後に突き付ける。

幸福に嘘を信じたふりをしたそのくちびるはもう恋を知る

少し主体と客体が曖昧であり,焦点がぼやけ気味な気はするが,これぞ現代短歌の持ち味というべき「するどい痛み」が切り取られているところがすばらしいと感じた。私はこれを読んで,「したあとの朝日はだるい 自転車に撤去予告の赤紙は揺れ」という岡崎裕美子の歌を思い出した。「幸福に嘘を信じたふりをした」というところについて,この歌においては私は芦谷さんと同じで「恋人はいないというタレントの建前を信じたふりをした」と読み取ったのだが,「ふりをした」とか「そのくちびるはもう恋を知る」とある通り,一方ではそれが嘘であるということを重々承知している。「したあとの朝日はだるい」の方は,あまりうまくいっていない恋人なのかそれとも「体だけの関係」の相手なのか,とにかく不毛なセックスの後の気怠さを表していると考えられる。男の不誠実*2をなじるわけでもなく,不毛と知りながら成り行きを静観する諦念のようなものが感じられる点において「幸福に嘘を信じたふりをした」の歌はこの「したあとの朝日はだるい」に似ており,またなんとなくその感情は女性特有のものではないかと思った。裏切りを知って相手の男を憎むわけでもなく,ただ「情」と「惰性」だけで結びついていることを重々承知しつつもそれを変えようとは思わない,というような。

しかし「ジャニーズJr.」のことを詠めと言われると,おそらく私もこの2首と同じように「ファンがジャニーズJr.を見る」視点の歌を詠んだだろう。しかしこの記事では,ジャニーズJr.の視点を考えて詠んだ歌も多く紹介されていて,そのこともとても興味深かった。ちなみに私が最古の「追っかけ和歌」ではないかと考えているのはこちら。

天つ風雲の通ひ路吹き閉ぢよ をとめの姿しばしとどめむ僧正遍照

 いや,百人一首入りを果たした名歌に失礼なこと極まりないのは重々承知の上で,なんて素直な歌なんだ!これはただのアンコールじゃないか!もしかして僧正遍照サイリウムか何かお持ちではないですか……?

短歌の友人 (河出文庫)

短歌の友人 (河出文庫)

 

 ちなみに上で参照例として挙げた2種の短歌はどちらもこの本に載っています。短歌に興味を持ち始めたころ,夢中で読んだ本。現代短歌がどういうものか,これを読めば雰囲気がつかめるのでとてもおすすめです。たとえば「サラダ記念日」など,なんとなくほのぼのした歌のイメージのある俵万智は,こんな怖い歌を詠んでいる。本日はこのホラー短歌を引用して筆を擱きます。誰かのことを愛しているならその人の幸せを祈れるはずだなんて,所詮きれいごとでしかない。愛するということは食べることと同じで,一方的に消費して消費しつくしてなお飽き足らないものだ。「焼き肉とグラタン」のように。

焼き肉とグラタンが好きという少女よ私はあなたのお父さんが好き

*1:読者登録いたしました。

*2:タレントの場合はファンと付き合っているわけではないから不誠実ではないのだが,「裏切られている」という感情について。