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Welcome to the historian's life.

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こちらは,ちょうど私が留学を始めたころにFacebookなどでよく出回っていた画像の「歴史家」版である。友達にはSNSでいつも遊んでいるように思われ,親には研究室にこもりきりであるように思われ,世間からはただの歴史オタクであるように思われる*1という歴史家の不憫さをよく表していると思う。

多くの人が歴史家に対して,ひいては文系の研究者に対して「研究室にこもっている」(「SNSで遊んでいる」かもしれない)イメージを持っていることは確かだろう。私自身,それを夢見て研究者を志したようなものであった。とにかくだらだら机に向かうことに何の抵抗もなく,それどころか大好きで,そんな日々が一生送れるのならこれ以上に幸せなことはないと思ったのだ。歴史が好きだから,大学では歴史学を専攻した。研究者になることがもともとの夢だったし,歴史学は私の性に合っていた。だからやめる気などまるで起こらず,気がつけば博士課程まで来ている。しかし,これだけはいつも騙されたと思っているのだが,

歴史家がこんなに東奔西走しなければならないと,なぜ誰も教えてくれなかったのだろうか。

上に書いたように歴史家は研究室にこもって論文を書いていると思っているような人がいたら,ここではっきり否定しておく。文系の他の分野にも増して,歴史家は史料がなければ一文字も書けない。研究室にこもっていても何も書けない。だから常々,史料を求めてさまよっている。*2たいていの場合史料は「当てをつける」しかないので,「ありそうな文書館」に行ってみて,こういう研究をしていてこういう史料を探しているのだが,とアーキヴィスト相手に説明し,そこで見つかればラッキー,見つからなければまた別の文書館にあたってみるしかない。たとえ史料に関する記述が二次文献の中に運よく見つかっても,文書館との連絡に手間がかかるのは先日書いた通りであり,また文書館とうまく連絡が取れて約束を取りつけられたとしても,その史料が使いものになるかどうかは行って見てみるまでわからない。ひどいときには,いや,これが結構あるのだが,行ってはみたものの史料が行方不明というパターンもある。おかしいわね,とアーキヴィストが呟きながら目の前でカタログに「missing」と書き入れるときのあの絶望感。また,きちんとカタログ化されている場合とそうでない場合とあるから,後者だった場合はアーカイヴとは名ばかりの倉庫のようなところに放り込まれ,綿の手袋を渡されて「好きに探してくれ」と言われたりする。そうなるともう,手当たり次第に探す他ない。*3

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ちなみにこれが,その「アーカイヴでもなんでもない倉庫でカタログ化されているはずもない史料を手当たり次第漁った」時の写真である。綿の手袋は真っ黒になった。

こんな有り様なので,歴史家志望としてはゆゆしき発言をするが,私は史料調査が嫌いだ。手稿文書を読むことの次に嫌いだ。手間も時間もお金もかかり,さらに不確定要素が多すぎる。この不確定要素のせいで,頭に浮かんだアイデアの9割は水泡と帰す。もともと私は基本的に,あらゆる「不確定要素」が嫌いなのだ。「全席自由」とか。「出演者未定」とか。「雨天順延の可能性あり」とか。「友達以上恋人未満」とか。はっきりしてほしいのだ。史料調査も同じだ。あるならあるで,ないならないで,はっきりしてほしいのだ。先日も書いたが,歴史学とはまことに実用的な学問で,まず外国語で電話をし,さらにゴネてこちらの要求を通すということが難なくできるようになる。またアーキヴィストに正しくこちらの意図を伝えなければ欲しい史料を持ってきてもらえない可能性もあるから,プレゼンの能力が身につく。さらにアーキヴィストとの個人的な関係が史料調査の成功不成功を分けるので,コミュニケーション能力も高くなければ(あるいは,そう装わなければ)ならない。「今からお茶を飲むけど,こっちで一緒に飲まない?」とか言われた時に「いや,これ写真に撮っちゃいたいので」とか言うのではなく,当然お茶と世間話を楽しむことくらいできなければならないのである。企業のみなさま,この日記をご覧になっている場合のために,こちらではっきり申し上げます。博士課程までおさめた,あるいはその途中の歴史学学徒は,即戦力になり得ます。

私は明日,約束を取りつけるのにあれほど苦労したドミニコ会系修道院にようやく行けることになった。苦節一週間,長かった。しかしこれで終わりではない。上に書いたように,欲しいものがあるかどうか,また手に入るかどうかは行ってみるまでわからない。少しでも成功の可能性が高まるよう,何度でも二次文献の記述などをチェックして,どういうことを研究していてどういうものを欲しているのか,正しく伝えられるように確認しておかなければならない。そもそも方向音痴だから,きちんとたどり着けるかどうかもわからない。早く寝なきゃ。こんな風に,史料調査は行くだけではなくて,前夜から緊張していなければならないのだ。たどり着けるかな,ちゃんと伝わるかな,ちゃんとあるかな,なくなったりしていないかな,写真は撮らせてもらえるかな,文書館寒いかな,などなど。歴史家が考えていることなんて,50%が史料のことで,30%がそれに付随する様々なことで,残りの20%で論文を書いているようなものだと言っても過言ではないかもしれない。よく言われることだが,テーマが決まって史料が見つかれば,もう8割方完成したも同然なのである。ああ,いやだいやだ。

しかし私は普通に考えてあと50年くらい,これを続けていくことになる。史料調査を始めたばかりのころ,あまりの不確定要素の多さにめまいがし,指導教官と面談の時に思わず口走った。文書館に行っても無駄になることが多いと。すると先生は一言こう言った。「歴史家の世界へようこそ(Welcome to the historian's life.)」

*1:"What the university thinks I do"は何を表しているのかよくわからないです。

*2:だから上の画像でも,"What I think I do"のところでは史料調査しているでしょう?

*3:ただしカタログ化されていないということは他の人が使っていない可能性が高いということなので,その分価値のある研究を約束することも意味するため,一概に不幸とも言えない。私はカタログ化されていないと知ると小さくガッツポーズする方である。