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ティーカップの中の嵐

「ティーカップの中の嵐(Storm in a teacup)」という言葉がある。「当事者には大変でも,外から見れば大したことはないこと」を指す言葉なのだが,今の私がまさにティーカップの中の嵐のただなかにいる。ただこれ,ちょっと変というかむしろ逆で,周りに話すと絶句するくらい大変なのだが,当事者である私はもうなんというか峠を越えてしまった。そういう感じの,ティーカップの中の嵐である。むしろティーカップの外の嵐かもしれない。

昨日今日でちょっといろいろと事情が変わり,というか事情が明らかになって,想像をはるか超えて大変なことになっている。*1今日はとりあえず,,目の前のことから手をつけていこうと,4~5月にラッシュを迎える申請書の準備に取り組んだら,1日はあっという間に過ぎてしまった。申請書そのものを書くというよりも,いろいろ調べたり,先生方に推薦状を書いていただくお願いをしたり,はたまた日本にいる後輩に書類の取りまとめと発送を依頼したりなど,ほとんど根回しで終わったようなものである。こういうメールはひとつ書くにもだいぶ気を遣うので,何だか気疲れした。

まあ,救いがひとつあるとしたら,こういう書類はひとつ作ればそのあとの応用は比較的簡単だということである。今日私はなけなしの業績をまとめていたが,私のような業績の少ない人間でも何をやったかどこで発表したかなど容易に思い出せず,過去のメールや学会応募の書類などを漁ってようやく再構築した。しかしまあ,こうして最新版ができたのはよかった。次の機会にまた右往左往しないために,researchmapに全部まとめて上げておかなければ。

それにしてもここまで事態が逼迫すると,人間は逆に肝が据わるらしい。これ,修論提出直前に学振の面接が入ることになって,それまでに前倒しで修論を書き上げ,なおかつ学振の面接の準備もしなければならなくなったときに似ている(忙しさはその時の比ではないが)。芥川が「漠然とした不安」で死を選んだのはなんとなくわかる気がして,不安は漠然としている時が一番怖いのだ。書き出してみたりして具体化すれば,案外「これ,まあ,きついはきついけど,できなくもないんじゃない?」という楽観に行きつくものです。そういうわけで,大変な状況ではありますが,私は元気です。ご心配いりません。唯一心配があるとしたら,明日あたり指導教官ズから返ってくるであろうメールの反応なのだが,でも反応が悪くてももはや仕方がない。

*1:昨日は日記を書けなかったので,追い追い追記します。