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Girls Just Want to Have Fun

昨日の日記からもおわかりのことと思うが,私は割とちょっとした違和感に敏感で,しかも私の場合,その違和感が重要なことを伝えていることが多いので,あまり目をそらさないようにしている。人間関係においても,研究においても。悪く言えば根に持つタイプかもしれない。だから今日も,違和感のひとつをここに書き留めておこうと思う次第なのである。

この前指導教官に面談をしてもらった時,私の研究のことでちょっとした議論をしたのだが*1,その中で先生が「(読書における)選書は女性たちにとって暗黙のstatement for the worldだったのかもしれない」と言った。なるほどなと思う反面,でもそこまでの意味があるだろうか?と疑問にも思った。たとえば私自身はNewtonとか読むのが割と好きだが,別にそれは「女性にサイエンスは向かないとする男性中心の旧弊な世界に異議を申し立てるのだ!」と思って読んだりしているわけではない。私自身が文系の人間なので,全く知らない違う世界に触れるのがただ楽しくて読んでいる。これは女性史の歴史叙述に対する,私のもうひとつの違和感の根源でもある。女性の行動には,それが公的なものであれ私的なものであれ,何かしら意味が付与される。たとえば女性が買い物をする行動ひとつとっても,商品を選ぶ行動によって女性は自らの意思を社会に示しているのである,つまりそれは社会参加にも等しい行為なのである,という風に。それはある意味において正しいかもしれないけれど,一方でそんなに難しいことではないかもしれない。読書にしたって,ただ楽しいから読んでいる,というのではダメなのだろうか(ただ,歴史学の論文でそれをやると,もちろん何の結論にもならないのが問題ではあるのだが)。女性の行動を事細かに観察しつつ,そうした行動に過剰な意味性を付与しないようにする,というのは私が心がけている/いたい姿勢ではある。


Sputniko! - The Moonwalk Machine - Selena's ...

上に書いた私の考えに似たものがおそらく集約されていると思うのが,こちらのスプツニ子!によるミュージックビデオ,「ムーンウォーク☆マシーン、セレナの一歩」である。ビデオの中でセレナは「月面にハイヒールの足跡をつける」ことを目標にしており(=単に宇宙服で靴跡をつけるのではなく「女性」としての痕跡を残す),また彼女自身も外ではワンピースにハイヒールという,非常に「女性らしい」服を着ている。しかしやっていることは,ハイヒールの足跡をつけるための月面ローバーの設計とプログラミングという,いわば「マッチョな」ことである。I'll party where no man's partied before(前人未到の場所へ行く)という言葉は,文字通り「どんな男(man)も行ったことのないところへ行く」と読まれる。結局,私が博論で説明したいことというのは,こういうことなのかなと思う。女性が純粋に(ルサンチマンからくるのではない)楽しみでやっていることが,当人も知らない間に男性を凌駕したりする,という。何も,不屈の精神で歯を食いしばって男社会に立ち向かうだけが女の能であるわけでもない。もっと軽やかに,美しくかわいく着飾って楽しく過ごしているだけでも,女は男と真っ当に渡り合える,ということを書きたいのだと思う。そして私が書いていることが,そのひとつの例であれば楽しいだろうなと思う。

あと,このミュージックビデオはそれこそ「リケジョ」を語る上でとても重要なことを象徴しているとも思うのだが,それはまた私のサイドプロジェクト「女性と科学」にも関わることなので,また稿を改める。

*1:それにしても,議論らしい議論をしたのはこの3年で初めてのことかもしれない。今まで面談なんて,先生が言うことを必死でメモするのがほとんどだった。ちょっと,いやかなり,うれしかった。