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国民投票に寄せて

私はここ2年半くらい,生理不順の改善のためにピルを飲んでいる。こちらで買うと半年分が10ユーロ(=1500円弱)くらいだし,下手をすればサプリを買うより安い。いつ生理になるのか,もしくはならないのか,毎月まったく予想もつかなかったのが完璧に把握できるようになって便利なことこの上ない。

しかしながら,こうして私がアイルランドでピルを常用できているのは当たり前のことではない。カトリックアイルランドでは1970年代まで避妊が禁じられていたので,ピルやコンドームはその販売自体が違法であった。ちなみに禁じられていた時期,若者たちは北アイルランドから密輸していたそうです。へぇぇ。私は避妊のためにピルを飲んでいるのではないのだが,私と同じように生理不順に悩んでいる女性とか,もしくは生理痛がひどい女性とか,そういう人だって大勢いただろう。今こうして私が生理不順の煩わしさから解放されているのは,ピルによる避妊なんて荒唐無稽,ヒステリックなフェミニストか売春婦の考えであるみたいに考えられていた時代に,先達の女性たちが一生懸命キャンペーンを行ってくれたおかげなのだ。

と,世界で初めて同性婚憲法で認めるかどうかの国民投票アイルランドで行われた今日,ふと思ったのだった。この日に向けて,先月からずっと行事が目白押しで,私も歴史家のはしくれとして講演会に参加したり討論会を聞きに行ったり,割と忙しくしていた。

その中でも興味深かったのが火曜日に学校で行われた討論会で,賛成派と反対派はやはりどうしたって相容れず,賛成派が「この人たちを"educate"する」などという嫌な言い回しをしたかと思えば反対派は反対派で「ここにいる"radical feminist"が」などと明らかに挑発的な物言いをしていたり,見ている分には白熱していて面白かったのだけど,相手との意見がどれほど違っても,「対話」しようとする努力をやめてはいけないのだと思った。もちろん,その対話によって歩み寄れるわけではない。この同性婚をめぐる議論にしても,反対派が同性婚を"human nature"に反すると主張する一方で,賛成派は同性婚を"love"の問題なのだと主張して,双方がとても大きくかつ曖昧な概念に依って立っていたのだが,たとえば「あなたがたにとって"human nature"はこういうことだろうが,私たちにとって"human nature"とはこういうことを指すのだ」とか,それによる合意には至らないにしろ,どういう点に対しての認識が違うのかをはっきりさせる努力だけでもすればいいのに,とは思った。相手意見に対してその論理の穴を突くような議論ではなく,ただただ自分の言い分を主張する討論だったのが非常に残念だった。それはまったく,建設的な議論になっていないと思った。

程度の差こそあれ,これは日本についてもあてはまるだろう。左派と右派の間には,今まったく建設的な議論の素地ができていない。私もどちらかといえば左寄りで(その中ではかなり保守的なほうだとは思うけど),歴史修正主義,特に慰安婦問題とかそういうことに関する現在の政局なり右派の態度には,歴史家としても女性としても本当に腹が立って仕方がないのだが,たとえば強制連行の事実などなかったとか謝罪の必要などないとか言っている人たちを頭ごなしに否定するだけではダメなのだろうと思う。そしてそれは"educate"などという態度で接しても,それこそ反発を受けるだけなのだろう。ただ不毛な言い合いをするのではなく,そういう人たちにもわかってもらえるように,こちらの意見を伝えていかなければならないのだろうと思う。たとえばFacebookで,自分と同じことを言っているような記事をシェアして,自分とほぼ同意見の人たちと「ほんと嫌になるよね」とか「バカだよね」とか,そんなことを言い合っているだけなのは怠惰でなくてなんだろう。意見を表明すべき場所はもっと別にあるんじゃないか。

……などなど,こんな小さい国で行われている議論から,いろいろと敷衍して考えたのでした。歴史家としても,女性としても,いち市民としても,本当に学ぶところの多い国民投票だったと思う。