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Walk the Blue Fields

今週のお題が「最近おもしろかった本」とのことなのだが,それならちょうど今読んでいる本があるのである。

Walk the Blue Fields

Walk the Blue Fields

 

 ダブリンでは今日まで,International Literature Festivalというものが開催されていた。その封切り的な行事としてBook doctorというものがあった。これは現役の作家さんと一対一で話して,読書傾向を「問診」してもらい,おすすめの本を「処方」してもらうというものだった。なんといっても私の専門は読書史なのである。そうと知ればさっそくフィールドワーク,と5ユーロ払って予約を取ったのであった。

私の「診察」をしてくれたBook doctorはSelina Guinessさんという方で,私が日本人だというと,「じゃああなたにムラカミを勧めるのは意味がないわね」と言っていた。特に好きなのはイアン・マキューアンカズオ・イシグロ,それにガルシア=マルケスとかボルヘスとかのラテンアメリカ作家だと言うと,処方されたのがこちら。

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さっそく,この中で手っ取り早く読めそうな短編集から挑戦してみようと思い,学校の図書館に所蔵があったこのWalk the blue fieldsを借りてきたのだった。そして週末に1話ずつ読んでいるのである。

今まで読んだところの感想を書くと,これは,確かに,イアン・マキューアンカズオ・イシグロが好きだと言っている人間におすすめできる。取り返しのつかない過去とか,胸の奥に残った痛みとか,そういうものを決してドラマチックにではなく淡々と描き出す感じがとても切ない。全編アイルランドの田舎や地方を舞台にしていて,それは割と「魔術的」だとか「幻想的」だとかそういうクリシェによって表現されがちなのだが,*1私はむしろ,作者キーガンの狙いは閉塞感の演出にあるのではないかなと思った。行ってみればわかるのだが,イギリスやらアイルランドの田舎って,観光する分には綺麗なところだが,なんとも言えず閉塞感があるのだ。なんというか,「人生の一時期をここで過ごすのは楽しいかもしれないが,一生をここで終えるのは嫌だ」という感じの。しかし実際にはそこで生きている人がいて,もちろんそこで一生を終える人もいる。たとえば表題作"Walk the blue fields"は,司祭した結婚式の花嫁と過去に関係があった神父の話なのだが,その神父の追憶の中で,彼らが一度ニューリー(Newry)にほど近い街へ旅行したというエピソードが出てくる。その旅行の最後で,神父は彼女に自分が聖職を離れることができないと告げるので,これは実質的に彼らの別れの旅行になるわけなのだが,この「ニューリーに近い」という舞台設定の持つであろう意味が,なんとも辛い。ニューリーは北アイルランドなので,これは2人にとっては逃避行のような意味合いを持っていたのではないかと考えられるのだが,かといって北アイルランド最大の都市ベルファストにも,もちろんイギリスにも届いていない。この「あと一歩を踏み越えられない」感が,2人の関係をも暗示するものだったのではないかと思う。これは私の勝手な解釈ではあるが,もしそうだとしたら本当に切ない。この物語の終わりは,少し希望を予感させるものにはなっているのだが。

英語で読んでいるので読むのに多少時間がかかり,まだまだ読みかけなのだが,しかし日本語の本だと私はいつも一気に読んでしまうので,「読みかけ」というのもまたいいものである。できれば毎日1話ずつくらい読みたいところだが,なかなか平日は疲れてしまって読む時間が取れない。時間の使い方を考えなければ。

青い野を歩く (エクス・リブリス)

青い野を歩く (エクス・リブリス)

 

 ちなみにこちら,邦訳も出ているようです。よろしければ,みなさまもぜひ。ただ,読んだ後で少し考え込んだり,思いをめぐらせたりしてしまうような作品が多いので,気持ちに余裕があるときにお読みになることをおすすめします。

*1:たとえば,邦訳のAmazonの解説などを見るとそのように書いてある。