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ハンナ・アーレント

修士2年の時くらいからずっと,午前中にピアノの練習をして,お昼を食べてから学校に行くという生活をしている。理系の友人は「貴族か」と私をののしるのだが,ピアノを弾いている間にエンジンもかかるうえ,いろんなことを考えたりできるので,このパターンはとても気に入っている。練習のかたわら,本をぱらぱら開いたりもする(貴族か)。最近はこの本で,自分に活を入れている。

この本自体は,確か去年の9月に日本からこちらに戻ってくる機内で,さらにフランクフルト空港の乗継待ちの間に読んだものである。したがって,読むのはこれが初めてではない。「自分に活を入れるために」と書いた通り,ハンナ・アーレントの輝かしい生き方に刺激を受けて午後研究をがんばるために読んでいるのである。*1

しかし,やはりアーレントが女性であるということもあり,気になるのは恋愛や結婚のことである。そして,アーレントが非常にうらやましい。ハイデガーとの関係とか,もちろん知識として知ってはいたが。たとえばこれ,28頁に載っているハイデガーとのやりとり。

<前略>マールブルクの一学期目を終えた後,ケーニヒスベルクで休暇を過ごしたアーレントは,「影」と題した自己省察を書いた。

 

彼女は多くのことを知っていたー経験と,つねに目覚めた注意力によって。しかし彼女にそのようにして起きたことのすべては,魂の底へと落ちていって,そこで孤立したままカプセルにしまいこまれていた。(『アーレントハイデガー往復書簡』)

 

日付は一九二五年四月とされ,ハイデガーに贈られている。<後略>

 大学の教授とはいえ,ハイデガーとはいえ,彼氏に「影」と題した自己省察は書いて送らんだろう。

それからこれ,最初の夫であるギュンター・シュテルンとの結婚について(37-38頁)。

<前略>のちに彼が語ったところによれば,アーレントは料理が好きで上手だったそうだ。大好物のサクランボでジャムをつくるために,種をとりわけながらときには口にほおばる彼女と向かいあい,サクランボだらけの「戦場」のようになったテーブルをはさんで哲学的議論を展開したことを,彼は回想している。<後略>

なんで,家でさくらんぼジャム作りながら哲学的議論を展開しているんですか。

しかも「種をとりわけながらときには口にほおばる」って何とも言えずエロティックでいいわあ,というのは置いといて,次。アメリカ亡命直後の生活について(82頁)。

<前略>[アーレントの母マルタは]娘の夫であるブリュッヒャー*2との関係はあまりうまくいかなかった様子で,当時とりわけ研究や知的対話といった精神生活においてブリュッヒャーの全面的支援を必要とした愛娘ハンナとの距離の取り方も難しく,またアメリカ社会にもとけこめずに,孤独な状態が続いたという。

 夫と「会話」じゃなくて「対話」できるだと!うらやましい!

 そもそも,この本を買ったのはおととしの秋に映画『ハンナ・アーレント』を見て衝撃を受け,ぼんやりとしか知らなかった彼女の生涯や思想をもうちょっときちんと知りたいと思ったからである。もちろん,彼女の思想や政治哲学者としてのキャリアは私にとってとても刺激的である。かの有名なアイヒマン論争からは,知識人にとって「客観的である」ということがどのようなことか改めて考えさせられるし,「悪の陳腐さ」の概念も初めて知った時はものすごく衝撃的だったし,『アウグスティヌスの愛の概念』で博士号を取得したのが22歳の時であるというのも,29歳の自分と否応なしに対比してしまう(それが不毛なことと重々知りながら)。しかし結局,こういう恋愛や結婚に関する直接的・間接的な記述に一番目が向くというのは,やっぱり私がいわゆる「お年頃」だからなのだろうか。いや,29にもなってお年頃とか言っている時点で抱腹絶倒ものではあるのだけど。お・と・し・ご・ろ。いや何でもないです。

しかし,『イミテーション・ゲーム』の感想にも書いたが,インテリ女性にとって知的魅力を感じられるかどうかというのはおそらく,パートナー選びの上で決定的に重要なことである。『イミテーション・ゲーム』ではチューリングが同性愛者であることを告白した時にジョーン・クラークが「構わない」と即答していたが,こんなふうに,知的魅力が性的魅力を凌駕してしまうことすら大いにありうる。不興を買うことを承知で言うと,私の知人は「外国語の発音に努力が感じられない」とか,それこそ「知的対話」ができないとかいう理由で無情にも歴代彼氏に別れを告げ,おそらくは外国語の発音に努力の感じられる,おそらくは知的対話の楽しめる男性と結婚した。私の同居人はパートナーの「条件」に「ひとつでもいいから外国語が話せる人」を挙げているし,私の先輩は(詳しくは書かないが)「シェイクスピア的連想をわかってくれる人」と言っていた。私も具体的な指標こそないが,知的に尊敬できるということはおそらく大きな魅力になるだろうと思う。共同生活を営む上では,自分にない知識を持っている人と暮らすほうが便利そうなので,理系の人がいいだろうなとも思うが,その上でできることならシェイクスピアの話もしたいし,和歌の話もしたい。*3しかしながら決して驕らない人がいい。つまり,何が言いたいかというと,「知的魅力」というのは求めだしたらキリがないのであって,私のような売れ残りは理想を下げろと口を酸っぱくして言われるご時世であるにも関わらず,理想はバベルの塔のように天高くそびえていく一方なのだ。神の怒りに触れて粉々にされるまで。高学歴女性の婚活というと,すぐに「学歴が釣り合わないから敬遠されがち」とか言われるが,断言すると,学歴とかそういう問題ではないのだ。むしろ,学歴が問題なのならまだ救われよう。念のため言っておくと,理想はあくまで理想なので,尊敬できるところがある人であればそれでいいのです。これ,謙遜でも,好感度アップの作戦でもなんでもなくて本心から。だって,相手にもし「あのねダブリンにいる時にヘンリー2世を観たんだけど」と言って通じなくても,私だって超ひも理論の話はできないわけですから。そもそも,mol計算もできない人間ですから。

しかしうらやましくてたまらないのは,アーレントが輝かしい才能を持ち,その上美人で,しかも美人なのなら,くだらない男が山ほど寄ってきて男運はさっぱりだった,とかで我々売れ残りの溜飲を下げてくれればそれでよいものの,男性にも恵まれていたということである。なんなんだ。ユダヤ人として,戦中も戦後も艱難辛苦を経験したのはもちろんわかっている。アーレントから見れば,のほほんと研究している凡庸な私のほうがよほど幸せかもしれない。しかし,しかし,ううう。なんなんだこの歯噛みするような妬ましさと悔しさとうらやましさ。先の「お年頃」発言と同じく,アーレント相手に「妬ましい」だの「うらやましい」だの,言うこと自体が荒唐無稽なのだが。これはたとえばほかの留学生の先輩方や同輩を見ても思うことなのだが,留学を機に結婚して一緒に外地にわたるとかいう例は割と多い。もちろんアーレントがなめつくした辛酸には程遠いだろうが,たとえばこうした艱難辛苦があったとしても,パートナーがいたとしたらよほど精神的に救われるだろうし,しかもそのパートナーがソウルメイトのような存在であれば尚更だと思う。と,一人寂しくたくましく留学している私はうらやましく思うのである。

何はともあれこの本,朝起きてスイッチを入れるには最高の刺激を与えてくれるので,おすすめです。アーレントに興味のあるみなさまはもちろん,女性研究者のみなさま,女性大学院生のみなさま,大学院進学を志す女子学部生のみなさま,さらに女子中高生のみなさま,私が自信をもって推薦いたします。ぜひお読みください。そして映画『ハンナ・アーレント』も,もしご覧でなかったらぜひ。


HANNAH ARENDT by Margarethe von Trotta ...

それにしても,映画でアーレントがくわえ煙草で新聞を読んだり執筆したり思考したりするシーンはもう本当に格好良くて,私も喫煙を始めようかと本気で思ったほどであった(私は形から入る人間なのだ)。女性知識人はなぜこうみんな美しくて,しかも喫煙者が多いのだろうか。ジュリア・クリステヴァはスモーカーだろうか。

*1:ちなみに私は新書で出ている伝記や自伝が好きでよく読むのだが,特におすすめなのは以下の3冊。

 

 

歴史を学ぶということ

歴史を学ぶということ

 

 

丸山眞男―リベラリストの肖像 (岩波新書)

丸山眞男―リベラリストの肖像 (岩波新書)

 

 

*2:アーレントの三番目の夫。

*3:ちなみに言うと,東大にもほとんどいません。