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エブリデイ滝行

髪を切りすぎたことはすでに書いた。それから毎日私がどうしているか,結論から言おう,毎日落ち込んでいます

いやまあ,落ち込むってほどでもないのですけど,やっぱり鏡を見るたびに否応なしに気づきますよね。短っ!という新鮮な驚きとともに。まあ,新鮮な驚きに満ちて毎日を送れるのは,それはそれで悪いことではないのだが。センス・オブ・ワンダー。いやレイチェル・カーソンの話がしたいのではなくて,どうせ新鮮な驚きに満ちるのであれば,鏡を見るたびに自分の美しさに気づきたいわけですよ。無理なんですけど。しかしそれが今や,なんかもう,鏡を見れば中学生の頃の私,とまでは言わないまでも,修士課程時代のショート~ボブくらいの髪の長さの私がこちらを見ている。そうか,研究の道に進むと決めたあのころの瑞々しい思いを,博論を書き上げようとする今取り戻せ,と神仏が私に語りかけているのだな,いや,神仏はそんなこと語りかけてこないのである。

しかし結論はいつも同じなのだが,切ってしまったものは仕方ない。そして髪は伸びる。それならそれで,できるだけ早く伸ばす方策を考えるほうが得策ではないか。そのように悲壮な決意をしたのが昨日のこと。そして「髪 伸ばす」で検索してみたのだった(なんかずいぶん馬鹿っぽい)。その結果,出てきたのは次のような方法。

  • 頭皮マッサージをする
  • 食事と睡眠に気をつける
  • ストレスをためない
  • シャワーは冷水
  • ドライヤーも冷風で

「ストレスをためない」と「シャワーは冷水」,どう考えても矛盾していますけれども。

私は三度の食事より風呂が好きな,源しずかのような女である。ずっと憧れていた文化人類学を,「フィールドワークで風呂に入れそうにない」ということが大きなきっかけとなって断念した女である。ヨーロッパに3年暮らして,夏も冬もシャワーだけなのにもずいぶん慣れたつもりではあるけれど,やはり帰国したら湯舟に入り倒している。温泉にも行っている。そんな自分の性分はよく知っているつもりなので,これは無理だ,と早々にあきらめていたのだが,昨日いざ入浴する段になり,全裸にシャワーヘッドを持って,ふと思い立ったのである。やるだけやってみようかしら。そして滝行の苦しみを味わうかと思いながらおそるおそるシャワーを近づけてみた。もちろん,体中に冷水がかかったらそれこそ滝行だし,風邪でもひいて博論の進捗に支障が出たら髪を伸ばすどころの騒ぎではなくなるので,慎重に頭にだけシャワーがかかるよう工夫したのである。

……あら。案外平気かもしれない。

最初こそ「ひえっ」となるのだが,あとは案外大丈夫だった。頭皮というのは思ったよりずっと強いらしい。なんかむしろ,爽快な気さえする。昔から頭寒足熱と言いますし,理にはかなっているのかもしれない。洗い終えたあとはそれこそ滝行を終えたように心がすっきりと澄み渡っている気さえする。さっきから滝行滝行と何度も言っていますが,もちろん経験はありません。

そういうわけで,昨日から2日間,とりあえず冷水で髪を洗っているのである。ちなみに冷風ドライヤーのほうは,これも昨日試してみたのだが永遠に乾きそうになかったので,温風と冷風を交互に使うことにしました。これでもいいらしいので。私はもともと髪が伸びるのが割と早いほうだし,なにせ髪が多いし,そもそも今まで「早く伸ばしたい」など考えたこともなかったので,これで果たして「早く伸びている」のかどうかを実証するのが非常に難しいが,とにかくやるだけやってみようかと思っている。あ,しかも昨日から,ひじきとか食べています。

しかし今回のことは,とてもいい教訓になりました。何はともあれ,まずは言葉だということである。語学力のことではない。日本人同士であろうがなんであろうが,自分の思っていることは言葉できちんと説明しなければ伝わらない。それが外国語の場合はなおさらである。これも日本のよくないところだと思うが,「いちいち言わなくてもわかれ」などというのは完全に伝える側の甘えです。単一文化妄想にあぐらをかいている。職場のトラブルも家庭のトラブルも恋人同士のトラブルも友人関係のトラブルも,ほとんどがこの意思疎通の不全に起因しているのだから,だったらちゃんと,わかってほしいことは口に出して言わなければいけませんよね。これは私の持論だが,「言葉なんて関係ないぜ」というのは勘違いもはなはだしいのである。ほら,なんか悟りまで開いている。やはり日々の水シャワーは滝行なのではないか。