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学者である,ということ

思うに反知性主義なんてものは案外身近にあるのかもしれなくて,我々のような文系の研究者はその引き金にすらなっているかもしれない,とふと思った。いかんせん,我々は面倒臭いのだ。まず文系の研究者がやっていることというのは,一般的に言って,常識とされていることを問い直すことである。だからまず,人と話していても見解が一致しないことが多々あるし,「そんなの常識」とか言われたらそれが着火点となりうる。常識?常識というのはなんですか,あなたにとって都合のいい考えを常識と言っているだけではないですか,などなど。さらにジェンダーイシューにもきわめて敏感だから,少しでも時代錯誤的な発言があったらそれを逃さない。たぶん,話し相手として,面倒臭いことこの上ない。こういう人が身近にいたとして,相手に「ちょっと頭がいいんだかなんなんだか知らないが調子に乗りやがって」とか「勉強がいくらできてもこんなんじゃ意味ないよな」とか思われれば,きっとそれは反知性主義の入り口である。そのうえ文系の学問なんてお金にもならないのだから,それこそ世間一般の人々にとって,「そんなことやって何の得になるの」と思われるのもまた仕方ないだろう。アカデミアと世間との乖離は,案外身近なところから始まっているかもしれないし,それを引き起こしているのがアカデミシャンたち自身なのかもしれない,というのもまた事実である。いくら悪意がなくて,良識に従った結果であるとしても。

最近「安保関連法案に反対する学者の会」というのが結成されて,参加している京大人文研の関係からその案内が回ってきたので,目的を熟読したうえで賛同し,署名したのだった。しかし同時に,「学者の会」というのはちょっとな,とも思った。私は一人称としての「学者」が好きではないのだ。どうも碩学を含意するような感があって。それに,それこそ反知性主義を誘発しうるものではないかと思ったのである。「学者様がこれだけ反対しているのだから馬鹿は黙って廃案にしろ」ともとられかねないし,実際に私の友人の一人は,彼もまた「学者」の一人ではありつつ,「学者であることが安保法制に関する個人の判断の何を担保するというのか」と疑問を述べていたのを見かけた。たぶん彼と私とでは見解が異なるが,その点に関してはその通りというほかないのである。そして,彼と同じ意見の一般の方も多いのではないか。私は好意的に「学者という職業集団」ととらえたが,もしかして署名者の中には「学者先生」を自負し,尊大な態度で署名している人もいないとは限らない。いないと信じたいが。そして一般の方は,「何が学者だ,学者に日本を守れるのか」と思うかもしれない。そうなるといくら数を集めたとしても,逆効果になる恐れがある。

一応,この件に関して私個人の意見を述べておく。私は憲法の専門家ではないから,憲法9条があるのにおかしいなとは素人目に思いつつも,集団的自衛権を認めるのが合憲なのか違憲なのかは,率直なところ,わからない。「時代にそぐわない憲法なら改正しなければならない」という意見も,正直なところ,わからないではない。確かに国際情勢は変わっているし,中国の軍事的膨張が目を離せない問題なのは,そうなのだろうと思う。そして,防衛力は必要なものであるとも思っている。それを踏まえたうえで,わからないから,教えてほしいのだ。*1どのように必要なのか,どのように解釈すれば合憲になりうるのか,今までのままではどのようにダメなのか,なぜ解釈しなおさなければならないのか,そして他国の戦争にどうしたら巻き込まれずに済むのか。わからないからわかるように教えてほしいのに,現政府の回答はいつも的を射ていないし,3人の憲法学者を国会に招致したら3人が3人とも違憲だと述べる有り様だし,あまつさえ首相はポツダム宣言を読んでいない。「合憲」派の憲法学者の先生方は「政府の説明が足りないというけれど,国民が知る努力をしていないところもある」とおっしゃる。しかし,私はこれに関してのニュースにはきちんと目を通しているし,本も何冊か買って読んだし,少なくとも「知ろうとしている」自負はある。なのにわからないのは,問題がそれだけ複雑なことの証左だと思っている(お前がバカだからだというご指摘もありうることは重々承知している)。重ねて述べるが私は憲法の専門家ではないから,憲法解釈なんてやり方も知らないし,いくら合憲派が圧倒的少数だとは言っても,何が何でも違憲だ,解釈は不可能だ,と言い切れる自信はまったくない。ただ,見方と立場によって解釈が変わりうるものだということはよく理解したつもりである。ならばなおさら,強硬に解釈しなおすことは危険きわまりないのではないか。

そして国民だって,どういうものかきちんとわかっていないのではないか。政府がいくら口を酸っぱくして「これは戦争をする国にするための憲法ではない」と繰り返しても,主に喜んでいるのは,これで中国や韓国と戦争ができると喜んでいたり,「日本は平和ボケしている」などと言っていたりする,威勢のいい方々*2ばかりである。こんな状態で,国民のコンセンサスがとれていると言えるのか。このような状態を見ると,むしろ政府が否定し続けている「他国の戦争に巻き込まれる」蓋然性のほうが高いのではないか,と思える。そして私は,反日でも売国でもなんでもいいが,戦争で大切な人々を亡くすのは怖い。

以上のような立場から,私は安保関連法案に「反対」の立場をとっている次第である。法案そのものにというよりは,どちらかというと,それが決定されんとするプロセスに。このニュースがTwitterに流れるや,上記の「威勢のいい方々」は一斉に,「国に従わない学者なんて全員クビにしろよ」とおっしゃっていた。まあでも,「学者」が唯々諾々と国に従ったら,それこそ存在理由がありませんからね。我々の仕事は,物事を批判的に見ることですから。そこのところは,どうぞご理解いただきたいものです。まあでも,文系の研究者でよかったと思うのは,「この世に唯一絶対正しいことなどありえない」とわかっているということだ。自分がいつも正しいと思うなよ,と頓珍漢なことはよく言われるのだけれども。私の考えはこうで,あなたの考えはこうで,私は私の考えが正しいという自信はないが,あなたの考えが正しいとも思わない,お互いに違いますね,という確認をして,*3そして「正しい」ことではなく,「ほぼ確からしい」方向へ向けて議論をしていく。ひとつの合意を絶対的な正義とするのではなくて,差異を前提としたうえで妥協点を探り,前提を常に問い直していく。「学者」であるということは,特に文系の「学者」であることの良心とは,私にとってそういうことである。

*1:私の目標は,「わからないことをちゃんと素直にわからないと認められる」研究者です。

*2:言うのは個人の勝手だと思うが,こういう方々は,有事の際には真っ先に志願して銃を持って前線へ行ってくれるのですかね。素朴な疑問なのだけど。まさか,戦うのは自衛隊のみなさんで,自分はやいのやいのスポーツ感覚で楽しむおつもりじゃないですよね。

*3:ただ「和をもって貴しとなす」が基調にある日本において,それは波風を立てることでもあるからやりづらいのは確かなのだが。