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続・金の話

みなさまお気づきの通り,私はここ最近しきりに金の話ばかりしている。あまりこういうことは声高に言うものではないし,まして「嫁入り前の娘」が話すにふさわしい内容でもないとされているのは重々承知している。「嫁入り前の娘」って何というジェンダーバイアスのかかった発言だ21世紀に入ってもう15年も経つのだぞ時代錯誤も甚だしいわお前女子社員のことを「○○ちゃん」って呼んだりお茶くみさせたりコピーとらせたりするタイプの人間だろうが,ええっ,と自らの発言に対して突っかかりそうになるが,それはとりあえず置いておく。ではその「嫁入り前の娘」が話すべきでないような内容をなぜここであけすけに話すのかというと,理由はただひとつ,博士課程留学や在外研究を志す方がこれをご覧になった時に参考になれば,と思うからである。

このたびの金策ミスは,ひとえに私の責任である。まず,4年目に突入するであろうことを,そんなに真剣に考えられていなかった。いつもの思い込み癖で,私は3年で書き上げて帰るのだとしっかり思い込んでいた。今思えば,最初から4年計画で,奨学金をどのように使うか計画しておくべきだったのだ。これはぜひ,後世に語り継ぎたい歴史的な過誤である。しかしその上で,実をいうと,なんかちょっと,騙された感もしている。私の被害妄想なのは重々承知している。しかし4年目が現実的になったころ慌てて周りの方々に金策の方法を聞くと,多くの人が「親の援助」と答えた。そしてそれを私にも勧めてきた。ええっ。いや,いやいや,そんな,軽々しく,「ご両親に1年間くらいお金出してもらいなよ」って言われても。いや,と言うか,当たり前に「親の援助」が選択肢にあるんだ。そういう世界なんだ。と,割と,いや心底,びっくりした。うすうす思ってはいたことだが,なにやら留学生って,先輩を見ても同輩を見ても後輩を見ても,なんとなく裕福なのだ。みなさん,実に優雅な生活を送っていらっしゃる。本場のクラシック,本場の食事,割と優雅にお金を使っていらっしゃる。私は,まあもともと外食を好むほうではないからいいのだが,今の経済状況ではあまり外食できそうもない。クラシックを聴きたいときには計画的に最安値の席を購入している。しかし,なぜだろう。なぜ留学生は裕福なのだろう。少し考えてみた。

まず,そもそもそれなりに裕福な家の子弟でないと,大学院に進学することは考えないだろうと思う。私もその点では,裕福な部類に十分入るはずだ。さらに大学院に進学して研究者を志す学生というのは,親もまた研究者であることが非常に多い(特に東大はそうだった)。そうなると親御さんも博士論文を書いたり,はたまた留学をした経験があったりするわけで,金策の大変さは重々承知しているわけだから,子どもが同じ目に遭おうとしていたら援助したくもなるというものだろう。私の両親は応援はしてくれているものの,なぜそこまでして博士号を取らなければならないのか,そもそも取ってなんになるのか,ということはおそらくわかっていないだろう(私にもわからない)。「学業の尊さ」という価値観が当たり前に共有されている場合と,そうでない場合とでは,金銭感覚が異なるのも無理からぬ話ではあると思う。そして,別に責める意味合いで言うのではないが,留学を当然の権利と受け取っている人と,そうでない人とでは,きっとまた金銭感覚が異なるはずだ。だからおそらく,多くの留学生が裕福に見えるのだろう。

しかし,だからこそ,ちゃんと自分がやっていることがどんなことなのか,どういう役に立つのか,どういうことをやろうと思っているのかは,人にきちんと説明できるようにしなければならないのだと,改めて思った。この場合の「人」というのは,もちろん一般市民を指す。学振の申請書を書くときなど,よく「専門外の審査員にもわかるように」と言うが,専門外だろうがなんだろうが,審査員は研究者である。そうではなくて,そこらへんを歩いているおじさんを捕まえて話したとしても,面白そうなことやってんじゃねえか,がんばれよ,と言ってもらえるようにならないといけないのだ。今政府がやっている人文系縮小についても,荒唐無稽な政策だとは思いつつも,その原因の一端は文系の研究者が象牙の塔で勝手に楽しんでいたことにもあったはずで,そのへんは文系の研究者として,ちゃんと考えていかなければならないことだとは思っている。学問は聖域だ,素人が口をはさむな,というような尊大な態度をとりつつ,でも金はよこせというのは,明らかに間違っていると思うので。

ところで私の精神状態だが,よくもなければ悪くもない,まあ普通である。奨学金の件では落ち込んだのち,待てよ,でも海外で貧窮するって(貧窮はしてないが),もはやこれは芸術家の境地ではないか,ロマン派の作曲家なんてほぼ例外なく貧困のうちに崇高な作品だけを残して没しているではないか(いや没したくない),フジ子・ヘミングなんて国籍すら失ったじゃないか,芸術家からは離れるけれどもキュリー夫人は寒いとき暖房を入れるお金がないから布団の上に椅子を置いて寝たとかいうじゃないか(重さを暖かさと錯覚する方法をとっていたようです。うなされそう),などという思考に達した。これでちょっとうれしくすらなったから(だってなんかちょっと私,偉人っぽくない?),だいぶ錯乱している。とりあえずじゃがいも食べておこう。じゃがいもさえ食べていれば死なないとフジ子・ヘミングが言っていた。そしてじゃがいもはこの国の名産である。