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雌型の奇行種

先週末,チリコンカン(を我流にアレンジした,もはやなんだかわからないもの)を作った。チリコンカンのいいところは安い材料で大量に作れるということで,一度調理したら1週間分くらいできる。しかも汁気もそんなにないから,ごはんにかけた状態で学校に持っていくことができる。ここ数日間,私はこのチリコンカンを学校に持参していた。自分で言うのもなんだがこれは私の得意料理のひとつで(ハウスメイトお墨付きである),今回もなかなか会心の出来栄えであった。執筆を終えて食べるチリコンカンはそれはそれはおいしく,なんて幸せな生活なんだと,数か月後には無収入になる身の上にも関わらず呑気に感動していたくらいである。

しかしどんなにおいしいものでも,毎日食べていれば飽きてくる。おとといあたりから少し嫌気がさしていたのだが,昨日ついに,「明日(つまり今日である)もチリコンカンを持っていくのか」と思うとほとほと嫌になった。人生ってなんだろうとすら思った。あくせく論文を書いて,食べたくもないチリコンカンを食べて,黙々と帰ってくる日々の繰り返しが人生なのか。そんな日々がこれから死ぬまで続くような気すらしてぞっとした。なんせ私は200歳まで生きる予定なのである。あと170年もこの生活。どうです。嫌でしょう。

しかし,その日私は思い出した。*1そのさらに少し前に作ったカレーを冷凍してあることを。普通,カレーを弁当として持参しようなどとは思わない。しかし私はよほどチリコンカンに追い詰められていたと見え,今朝ふと考えたのである。カレーもごはんも冷凍したまま持っていき,食べる時にレンジで温めて食べれば,これも弁当になりうるのではないか。

私は思いついたことをすぐ実行に移さないと気が済まないタイプである。チリコンカンの呪縛から一瞬楽になり,さらにカレーを食べられる(カレーなら別に毎日食べても飽きない)このアイデアに,私は欣喜雀躍となった。今日も一日がんばろうとやる気すら出てきた。カレーごときで,しかも自分で作ったカレーでこんなに生きる希望が漲るなんて,私は昭和30年代ごろの小学生かなにかであろうか。かくして私は冷凍カレーと冷凍ごはんを取り出し,カレーはタッパーの上からキッチンペーパーでくるんでさらに二重にジップロックで封入し,ごはんはラップの上からキッチンペーパーでくるみ,それを学校に持って行った。常温の中で1日置いておいたが,いかんせんここは日本ではないので暑くなりすぎることもなく,夜食べる頃に完全に溶けたくらいであった。それを給湯室のレンジで温め,食べた(おいしかった)。かくして「カレーをお弁当にしてみよう」実験は成功裏に幕を閉じたのであった。これはすべてレンジがあるからこそできる芸当であるが,何にせよ,今度からカレーもお弁当になりうる。これ以上に喜ばしいことがあるだろうか。

しかし,ひとつがっかりしたのは,あまりに成功裏に進みすぎたことである。カレーを持っていくと決めたとき,私はこの「奇行」にむしろ少しぞくぞくしていたのだ。私は幼いころから優等生であった。レールの上(ただそのレールは別に「敷かれた」わけではなくて「敷いた」のだが)を黙々と進んできた。こういう人間が少しアブノーマルな行動に走る時の興奮といったら,筆舌に尽くしがたいのだ。*2しかし冷凍カレーとごはんを弁当にするという行為は,奇行だとばかり思っていたものの,考えてみれば実に理にかなった行動であった。冷凍してあるし,暑すぎないから食中毒の心配もない。冷凍してあるから持ち運びやすい。ただそれだけのことであった。奇行のクライマックスと考えていた「院生室でカレーを食べる」に関しても,ただ黙々とカレーを食べただけであった。むしろそのとき,私ともうひとり残っていたジョーの方が奇行に等しい行動をとっていたくらいだ。*3つまらない。実につまらない。カレーはおいしかったけれども。

というわけで,お弁当の可能性が広がったのはよかったが,なんだか不完全燃焼気味である。ちぇっ。しかし考えてみれば,30も目前になって「奇行に憧れる」ということ自体が,十分奇行であるかもしれない。

*1:タイトルともども,もちろん例の巨人漫画から取っています。『巨人の星』じゃないよ。

*2:異常性癖とかはないので,安心してください。

*3:彼はなぜか,スマホを最大値じゃないかと思うほどの音量にしており,ご丁寧にもタッチ音まで消していなかったため,ジョーのスマホに何か連絡が入り,しかもそれにジョーが答えるたびに,音が院生室に響き渡っていた。しかもさらに悪いことに,彼はチャットツールでチャットしていたようだった。