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言葉を尽くしても

言葉を尽くしてもわかってもらえない悲しみというものは,おそらくは成長すればするほど増えていくものなのだろうと思う。私などはこの種の悲しみにとても縁が深く,幼稚園の頃の思い出と言えばほとんど,友達に誤解され悔しくて地団駄を(文字通り)踏んでいる思い出であるような気がする。そして今は論文執筆によってその苦しみを味わっている。どうやら,昔から説明不足かつ表現力不足であるのではないかと思う。

たとえばこれはよく誤解されることだが,現在私はヨーロッパで毎日ワインを飲んだりホロホロ鳥を焼いたりする食生活を送っていると思われている節がある。これも,違うよ,普段はとても質素だよ,ワインもたまに安いのを買ってきて飲むくらいだよ,と何度も何度も説明しているつもりなのに,まだそう思っている人も大勢いるようで,帰国するたびと言っていいほど「毎日ワイン飲んでるんでしょ?いいなあ」とか「毎日ワイン飲んどんじゃろ?ええなあ」とか言われる。おそらくこれは,私がFacebookに自作のホロホロ鳥のローストやらワインやらの写真を投稿しているからである。ただ,ここでなお誤解されないように付け加えておくと,私はいわゆる,「リア充」アピールをするためにFacebookを使っているつもりは毛頭ない。それこそたとえば,タラの塩焼き・ひじき・味噌汁・浅漬け・ごはん,といったような,まるでこれは給食か,というような質素な食事も掲載していたりする。それなのにワインやホロホロ鳥ばかりが印象に残るのは,きっと人の記憶というものがそういうものだからなのだ。この誤解を解くにはもう,「今日もチリコンカンを食べました」「今日もチリコンカンを食べました」「今日もチリコンカンです」「今日も」「ちなみに言うと明日もチリコンカンです」「明日はWi-fiがつながりにくいところにいると思うので,明日の分のチリコンカンの写真を載せておきます」などと連投し続けていく(もちろん写真付きで)しかないのだと思うが,これは本当に何の得にもならない。私の得にすらならない。ので,やらない。

もうひとつ,昔から言葉を尽くして説明しているのにわかってもらえないものというのは,父の職業である。私はずっと『天皇の料理番』を見ていて,今日も見たのだが,今日放送された回では,当時料理人は世間的なイメージの良い職業ではなかったために,篤蔵の息子・一太郎が学校の作文に「僕のお父さんは料理人です」と書けずに悩む場面があった。それで思い出したのだが,私も同じような作文を書くときはそれはそれは大変だった。父は航空管制官なのだが,この仕事,一般にそこまで認知されている職業ではないのである。たいていの場合,人はパイロットと勘違いしている。そういうわけで,私がこの手の「お父さんのお仕事」についての作文を書く時は,必ず父が監修していた。しかしたとえば,普通に認知されているような職業であれば「僕/私のお父さんは○○です」と一言で終わり,そのあとはお父さんの働きぶりや,それに対してどう思っているかなどを述べていけばよいものを,私の場合は「私のお父さんは航空管制官です。航空管制官とは……」と,航空管制官の業務内容を説明するのにかなりの紙幅を割かなければならないのである(ここを主に父が監修していた)。結果,私の作文は航空管制官志望者を前にした説明会スピーチのようなものになる。さらに,管制官の仕事はほぼシフト制であるから,平日に父が家にいたりする。すると,一般企業で働くお父様を持つ友人たちはわけがわからない。お父さんいったい何しよるん?と当然の疑問を投げられる。ここでまた,私は言葉を尽くして航空管制官の業務形態について知る限りで説明する。幼いころからこの繰り返しである。しかし,ついこの間帰国したときにもまた言われた。お父さんあれよな?飛行機誘導するんよな?と,マーシャラーの手振りを交えて。いや,いやいや,私ずっと違うよって言っとるよな?小学校の時からずっと言っとるよな?と言ったが,彼女はキョトンとしていた。その場でまた説明したが(もう簡潔に済ませた),これからもきっと,彼女は父をマーシャラーだと思い続けているだろう。

言葉を尽くしてもわかってもらえないというのは悲しい。言葉なんて不完全なものである。しかし文系の私は,それでも言葉の可能性を信じずにいられない。言葉なんて関係ないぜとヒッピーなことを言う人々は,そろいもそろって私とは合わない人々であった。人間関係なんて,どんなに仲が良くても,どんなにわかりあっていると思っていても,言葉でなんとでもなってしまう。しかし言葉によってもたらされた誤解を解くものは,また言葉でしかない。言葉で説明する,わかってもらえないならわかってもらえるまで言葉で説明し続ける,という作業を,私は続けてもう30年近くなる。

……と,ここまで書いて筆を擱こうとしたその時に思い出した。よくよく考えると,私がこちらで毎日ワイン三昧の生活をしていると思っている人間(のひとり)と,さらに父がマーシャラーだと思い込んでいる人間とは同一人物である。ふつふつと怒りが湧いてきた。あいつの理解力が足りない,というかそもそもあいつが私に興味がないだけなのではないか。あいつめ。