読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「テレビ離れ」に寄せて

日本では今,「テレビ離れが本格化」しているらしい。この情報を得て,なんだか,そこはかとなく嫌な気分になった。この場合,テレビ番組の質が低下したので視聴者が主体的に見なくなったのか,それとも「テレビすら見なくなった」のか,どちらかと言えば後者であるような気がするからだ。テレビを見なくなった人々が何をしているか。それはもちろん,インターネットを楽しんでいるのだろう。

歴史の中で,新しい娯楽の媒体は次々と生み出され,そして次々とそれらに対する新しい批判が生まれた。たとえば私が研究している19~20世紀転換期には,小説の類はごく少数を除いて不道徳だから読んではいけないと言われていた。雑誌や新聞もできるだけ控えるべきだとされていた。それが時代を下り,1920年代にはラジオが,さらに1930年代にはテレビが放送を開始し,総じてというほどではないにせよ,見すぎてはよくないとか,あまりに質の低い番組を見るのはよくないとか,つまり19世紀の小説に対する言説の変奏のようなものが繰り返された。それから60年ほど経ってようやくインターネットが現れ,そしてそれが今ようやくテレビに取って代わろうとしているならば,まあそういうものなのだろうし,それは不可避のものなのだろう。移民経済学でいうところの「プッシュ要因」がテレビ番組の質の低下だとすれば,「プル要因」はインターネット,およびそれを楽しむための機器の普及であって,そしてこういう場合,プッシュよりもプルの方が強いのである。人々は消去法ではものを選ばない。より楽しそうな方へ流れていくのである。

確かにインターネットには楽しいことがあふれていて,情報もあふれていて,一見するとこれで十分なように見える。しかしよく言われる通りで,インターネットだけでは情報が偏る。情報の海の中に身を置いているようでも,その実,人は見たいものしか見ていないからだ。典型的な例こそが「ネトウヨ」の存在だろう。情報の取捨選択という面においてはテレビでも新聞でも同じではないかと言われるかもしれないが,たとえ目の端にだろうと,入ってくるのとこないのとでは全然違うのだ。基本的にインターネットの情報というのは,クリックしなければ出てこない。しかも最近はスマートフォンの普及によって,スマートフォンでも閲覧しやすいように,記事はより簡潔に短くまとめられている。こうしたことを考えても,インターネットで得る情報はせいぜい「見出し」くらいに考えるのがおそらく適切なのであって,それを補うにはやはりきちんとしたソースか,もしくはせいぜい比較対象となるものが必要であるはずである。それなのにインターネットだけで満足するというのは,見出しだけで十分な情報を得た気になっているようなものではないかと思う。短時間でぱっと情報を得られるということ,それは一見便利なように見えても,実はとても危険なことであるはずだ。サウンド・バイトに晒されて,思考力を失った大衆ほど御しやすいものはないのだから。

それに,インターネットの方が情報が速いと見せかけて,実は遅いというようなことは多々ある。実際の例は私の実家で,「誰も新聞を読まないから」「情報なんてインターネットで全部得られるから」という理由で,最近新聞をとるのをやめてしまった。*1すると,母が送ってくる情報やニュースなど,前は私が知らなかったものが多かったのに,最近では私の方が先に知っているということが格段に増えた。もちろんこれだけを根拠に「実はインターネットの情報が遅い」ということはできないが,前述した通り人はインターネット上において見たいものや興味があるものしか見ず,しかも有難迷惑なことに,「関心度の高いニュースを優先的に表示します」などというシステムによって,さらにその傾向は強まる一方である。*2そうなると必然的に,自分に直接関係のない情報を得るのは遅くなる。母が最近ようやく「人文系学部縮小」のニュースを送ってきたのにも現れているように。インターネットで情報を主体的に選択している,つまり自分は「リテラシーの高い」人間だというのはまったくもって利用者の錯覚で,あるいは検索サイトの思うつぼであって,実はインターネットにうまく転がされているに過ぎない。そういうことを考えれば,人は新聞を「読まない」のではなくて,もう「読めない」のではないか。短くまとまったものに慣れすぎて。

以上に書いてきたことについて,私がたとえばナロードニキよろしく,偉そうに「民衆が間違った方向に進んでいる」「どうにか正しい方向に導けないものか」と勘違いして懸念しているのであれば,むしろそちらの方が私はありがたいと思っているほどである。しかしどうも,そうは思えない。人々の知的好奇心や批判眼がみるみる失われているのではないかと,このところ帰国するたびに思っている。そして「テレビ離れの本格化」も,その現れである気がしてならないのだ。

最後に,この記事自体が隠しがたい矛盾を孕んでいることを自白しておかなければならないだろう。まず,「テレビ離れ加速」のニュースを得たのが,私がこれまで批判してきた,インターネットであるということである。これに関しては,できるだけ多くのソースを見ることによって補ったつもりである。そしてこれはどうしようもないのだが,この記事を公開する場所こそがインターネットであるということだ。こんな風に,どれだけ足掻いてもインターネットに取り込まれていく。それならば,やはりインターネット「だけ」に頼らないことと,常に批判的な視角を忘れないということで対処するほかないのだろうと思う。

*1:これに関しては私は相当抵抗したのだが,やはり普段家にいないものに発言権はなく,さらに新聞購読料を支払っているのが両親である以上,両親の決定が優先されるのである。

*2:FacebookといいYahoo!といい,このアルゴリズムはいったいなんのためにあるのだろうか。「ユーザー・フレンドリー」または「カスタマイズ」と見せかけて,実は愚民を量産しようとする陰謀だったらどうしようと思う。