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『天皇の料理番』最終回

今期のドラマで,私はずっと『天皇の料理番』を見ていたのだが,先日それも最終回となった。まあまあお涙頂戴感は否めないものの,ほぼ毎回感動し時に泣き,本当に毎回楽しみに見ていた(ご覧の通り,お涙頂戴にまんまとはまっていた)のだが,最終回は割とひどいものだった。見ていて非常に不愉快だった。最近のドラマ,最終回がことさらひどいものが多すぎると思うのだが,何なんですか。手抜きなんですか。

物語の山場を簡単に説明すると,こうである。

第二次大戦に敗れた日本にはGHQが進駐してきて,宮内省もその対応に追われる。もしかしたら昭和天皇戦争犯罪人として裁かれるかもしれないという不安の中,篤蔵(佐藤健)は「お上の命はもはや米軍の胸先三寸なのだから」と,時に屈辱的な扱いを受けつつも,必死にGHQのご機嫌取りをする。

ある日篤蔵は「家族も連れて遠足に行きたい」というGHQの要望に応え,野外での午餐会を開催する。池の鴨をその場で捕えて捌き,それを提供するという目玉のある会であったが,その際篤蔵は亡き妻俊子の形見である鈴をなくしてしまう。必死で探し,池の中にそれを見つけて取ろうとしたとき,日本人に差別意識を抱いているGHQの将校から池の中に突き落とされ,悔しかったらかかってこい,テンノーバンザイと叫びながらかかってこいと挑発される。他の将校たちも集まってきてそれを笑いものにするが,篤蔵は俊子が亡くなる前に言った「癇癪を起こさないで」という言葉を思い出し,その場で鴨の真似をして笑いを取る。そのかたわらでGHQの高官が宇佐美(小林薫)に「あなた方にとって天皇とは何か」と尋ね,宇佐美は「天皇とは味噌です」と答える。いわば,生まれたときからそこにあり,馴染み親しむのは当然のことで,もし味噌を明日から一切食べるなと言われたら暴動が起こるだろう,天皇を処刑するとおそらくそういうことになる,と説明する。高官は鴨の真似をする篤蔵の姿も見て,「天皇のためなら何でもするんですね,あなたたちは」と言い,納得する。 

 なにこれ?

 いや,これ,双方の描き方に問題がありすぎでしょう。実話をベースにした小説が原作のドラマだが,まさかこれ,本当に起こったことですか。嘘でしょう。これ,まず,アメリカから抗議が来たりしないのだろうか。GHQの下っ端兵士の所業には時に目を覆うものがあったことも確かと思うが,ここで出てくるGHQは参謀クラスである。参謀クラスのGHQの中に,こんな知能レベルの低いレイシストが混じっていて,その男が目の前で無辜の料理人(しかもただの料理人ではなく,ロイヤルファミリーの厨士長)をいたぶっているのに周りは止めるどころか一緒になって嘲笑し,しまいには篤蔵の鴨の真似を見て同伴の家族までもが大喜びし,網で篤蔵を捕えるふりをして遊んだりする。そしてそれがなんだかとてもほのぼの心温まる感じで描かれていたのだが,いや,見ていてちっとも面白くないんですけど。そして日本にはこれを見ていたアメリカ人もいただろうと思うのに,彼らはこれを見てなんとも思わなかったのだろうか。

さらに篤蔵の「我慢」の仕方も,「これぞ日本人の美徳」みたいな描き方がされていたように思うのだが,むしろ,これこそ日本人の悪い癖である。俊子が篤蔵に癇癪を起こすなと言ったのは,侮辱を受けてなお笑いものになれということだったのか。とかく日本人は,「怒る」というのは激昂して喚き散らすことだと勘違いしている節があるように思う。だから「怒らない」ということが「ただ黙って耐える」ということになるのではないか。違うでしょう。冷静に抗議することだって,立派に「怒る」ことになるはずだ。海外において,ヒステリックに怒るのはもちろん相手にされないが,ただ黙って耐えていると,現状に満足していると見做される。不愉快なことがあったとき,もしくは不当な扱いを受けたとき,冷静に「そういうことをされるのは嫌だ」と伝えなければ,それこそ舐められる一方だし,そもそも思っていることを相手にきちんと伝えないのは,こちらの人々が最も嫌うことである。物語のはじめの方,件のレイシストが「お前ら日本人はテンノーなんてものを崇めて本当に愚かだな,テンノーなんてただの人間なのに」と挑発的な物言いをした時に,篤蔵が冷静に「キリストもただの人間だったが,その善行によって尊敬されて神格化されたのではないか」と切り返す場面があり,それは本当に見事だと思ったのに,終盤できわめて残念な展開になってしまった。苦境の時にただヘラヘラ笑ってその場をやり過ごす,「何を考えているかわからなくて気味が悪い」と言われる日本人の姿そのものではないか。

篤蔵のモデルである秋山徳蔵は,大正天皇即位の御大礼のとき,本格的なフランス料理を貴賓にふるまうことによって,料理をもって日本の威信を高めた人である。私が毎回胸のすくような思いでこのドラマを見ていたのは,もちろん留学生としての自分と篤蔵を重ね合わせていたのもあっただろう。また当時は料理人が賤しい職業とされていたが,洗練された料理を作ることによってその地位さえも向上させた。日本人が,それも独自の文化ではないフランス料理で大成し,その才覚によって国際社会に認められるというのは,なんと夢のある話だろう。翻って私も,もとはといえば自らのバックグラウンドに何の関係もないアイルランド史などを専攻している身であり,そうした意味でも篤蔵の姿はとても励みになっていたのだ。それが最終回でまさかの裏切り。私はてっきり,今回もきっと料理でギャフンと言わせるものだと期待していた。やはりGHQと対等に渡り合える人間は白洲次郎しかいないのか。

しかし思えばこの,強く出るかもしくは強いものに追従するかというような極端な二択は,今の日本にも通じるところがある。それこそ安保法案賛成派のちょっとアレな人たちがよく言うことだが,「軍隊がないから中国や韓国に舐められる」*1というやつである。それは一理ある,かもしれない。しかしアメリカに追従する方が,「舐められる」というならよほど国際社会から舐められるのではないか。所詮アメリカがいないと何もできない,アメリカの忠犬,という印象が今回のことでより強まっただろう。最終回の篤蔵よろしく,非常に情けないことである。もしかして制作側はそれを皮肉る目的だったのか。それならこれまで書いてきたすべてを撤回する。まあ,しかし,そんなことはないんでしょうね。そういうわけで,ああ,今回も残念な最終回であった(ただ,節子皇后に和久井映見,女官に伊藤かずえという絶妙なキャスティングには本当に心躍った。特に伊藤かずえ)。

*1:そもそも「舐められる」のが嫌って,もはやチンピラの思考回路である気がするのだが。