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神宮寺勇太と「ダメフェミ」の告白

私の中で,最近急浮上してきたジャニーズJr.がいる。「国民の彼氏」こと,神宮寺勇太である。

ことの発端はこうだ。「キンプリ」こと,Mr. King vs Mr. Princeが特集されたan・anが7月初めに発売された。その号の共通テーマは「年下の男の子」(なんてすばらしいテーマなんでしょう)であった。手元に当該an・anがないため定かではないが,(主に年上女性との)恋についてどう考えるかというインタビューに答えるコーナーで,各メンバーの印象的な一言がクローズアップされていた。「年上の女性にはリードしてほしい」(岩橋玄樹),「じれったい恋がいちばん好き」(高橋海人),「ギャップでもっと惚れさせたい」(永瀬廉),「頑張ってるなって見守ってほしい」(平野紫耀),さらに「いま夢中なのは,かき揚げそば」(岸優太)と,真っ当な回答から珍回答(無論岸くんである)までが出そろう中で,神宮寺勇太はこう答えていた。

年上とか関係ない。僕がリードします。

 100点!!(歓喜)

とはいえ,この回答がすぐに心に響いたわけでもない。最初に目につくのはやはり「かき揚げそば」であり,ほほーん,神宮寺くん格好いいこと言ってんじゃん,くらいにしか思っていなかった。しかしなぜであろうか,帰国中に様々な友達と会い,そこで割とリアルな恋愛やら結婚やら出産やらの話を聞いて多少現実逃避気味(大変危険な兆候である)なのかもしれないが,神宮寺くんのこの言葉がじわじわと響いてきた。

彼の回答の秀逸な点,それは「年下の恋人(男)」のステレオタイプを,たった二言で打ち破っているところにある。日本においては特に,恋人であれ夫婦であれ,パートナーシップにおいて女性の方が年上だった場合,女性は「頼りがいがある」「自立している」「彼氏/夫に依存しない」「包容力がある」などの特性を求められがちである。それは夫/彼氏の方が年上であるという,いわば「普通」のパートナーシップのイメージの裏返しでもあると言えるのではないか。日本における夫婦の年齢差統計を見たとき,夫の方が2~3歳上であるという場合が最も多い。おそらくはこうしたイメージから,人々は意識的にか無意識的にか,「年上」と狭義の「男らしさ」を結び付けて考えがちなのではないかと私は推測する。そしてその連想は,妻または彼女が年上であるという場合においては,特に強く作用するのではないか。その結果,前述したような「頼りがい」や「自立」といった,普通は男性のパートナーの長所として挙げられるような特性が女性に期待されるようになり,反対に年下の男性パートナーには「甘えん坊」などの(ふつう男性パートナーにとってはマイナスになるような)性質が許されるようになるのではないか。このように推測したうえで,キンプリの回答に再び目を向けると,このステレオタイプをそのまま採用した形の回答が,岩橋くんの「リードしてほしい」であり平野くんの「見守ってほしい」であると言える。上に私が出した例で言うならば,年上のパートナーに対し,岩橋くんは「頼りがい」を,平野くんは「包容力」を期待しているということになる。

しかし神宮寺くんの回答は,まず「年上とか関係ない」によってそうしたステレオタイプに惑わされないことを明言し,さらに「僕がリードします」と断言する。これはともすれば,ジェンダーフリーを志向する立場からすれば,「リードするのは男」と言わんばかりで眉をひそめられる向きもあるかもしれない。対等なパートナーシップにおいては,どちらがリードするのでもいいはずだからだ。しかし「リードします」という意思表示をこんなにはっきりできるというのは,それは断固とした責任感の現れであるとは考えられないだろうか。もちろんリードするのは男でも女でもいい。しかしリードには責任が伴う。その責任を全て引き受けると断言する潔い「男らしさ」は,私は素直にとても素敵だと思う。そしておそらくそれこそが,神宮寺くんが「国民の彼氏」との称号を持つ所以ではないか。私自身の話をすると,私は割と「しっかりしている」などと言われがちなほうで,それこそ「頼りがい」だの「自立」だのを勝手に期待されがちである(年下と付き合っているわけでもないのだが)。しかし,これは恋人関係に限らず友人関係においてもそうだが,別に人の世話を焼きたいわけでもないし,甘えられたいわけでもない。むしろ甘えられるのは嫌いである。そしてこうした女性は私以外にも大勢いるだろう。こういう,「しっかりしている」と思われがちだが私だって人並みに大切にされたい,と願う女性たちの心に彼の回答はものすごく響いたことだろう。「an・anインタビューにおける神宮寺くんの回答にやられたover 28女性の会」でも結成したいくらいだ。

ところで,突然の神宮寺くんの浮上には私自身も驚いている。いかんせん私は今まで,男性にこうしたいわゆる「男らしさ」を求めたことなど一度もなかったのだ。私が公言してきた「男性に求めるもの」,それは何よりも「可愛げ」であった。下手な男らしさはそれこそ男尊女卑的言動につながりかねないとすら考えていた。まだまだ素人同然であるとはいえ,私は仮にもジェンダー史家であり,特に最近は自分のことをフェミニストであると考えている。しかし今回のことで,私は驚きながらも自覚した。まず,これは前々から自覚があったのだが,私は要するに,ロクサーヌ・ゲイの言うところの「ダメフェミ(bad feminist)」の部類に入るのであろうこと。*1そしてさらに,これはだいぶ前から思っていたのだが,特に女が言う「好きなタイプ」なんて,単なる「最大公約数」でしかないということだ。イタリアンもフレンチも中華も和食もどれもおいしい。それくらいのものだ。

*1:「ダメフェミ」についてはこちらの,ロクサーヌ・ゲイによるTED講演"Confessions of a bad feminist"をご覧ください。日本語訳はこちら。これ,ジェンダー学の歴史に残りうる素晴らしいスピーチだと思います。私が博論で述べていることとも重なる。