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「読書と人々」シリーズその5:カーライル何言ってんの?~あるいは,ロンドン大学セナート・ハウス図書館OPACの有能さについて

 

Reading and the Victorians (The Nineteenth Century Series)

Reading and the Victorians (The Nineteenth Century Series)

 

 今,とあるメールマガジンに寄稿するために,この文献のいくつかの論文について紹介文を書いているのだが,いや,これ,本当に面白い。特に第7章,K・E・アターによる"Victorian Readers and Their Library Records Today"が秀逸。ヴィクトリア時代の3人の読書人,それもオーガスタス・ド・モルガン(もちろん,「ド・モルガンの法則」のド・モルガンです),ジョージ・グロート,さらにトマス・カーライルによる「書き込み」入りの文献がロンドン大学セナート・ハウス図書館に所蔵されているということ,さらにどのようにその書き込みにたどりつきうるかという研究手法までもが記されている。

まず書き込みの点では,カーライルによる『オーロラ・レイ(Aurora Leigh)』への書き込みが非常にバカバカしくて面白い。カーライルはこの本に59箇所の書き込みをしたらしくて,該当箇所(107頁)を苦心惨憺しながら訳してみると,*1

カーライルのほとんどの他のコメントは<中略>多岐にわたり,たとえば<中略>ある感情に対する明白な賛同「ああ,その通りだ(Oh, yes)」や「最高だ(devilish fine)」などの感嘆から恩着せがましげな賛同(「たぶんそうだろうな(Goodish)」),手短な叫び,プロットに対する皮肉めいたコメント:<中略>,「で?(so?)」,<中略>「フフーーー!(whew-w-w!)」さらにもう少し長いものでは,<中略>「なんてまあ,現実に起こりそうな話になってきたもんだよ!(How extremely probable the story is getting)」,「ああ,もしそうでなければならないとすればな!(Yes, if it must)」そして「私たちは風変わりな,そして物寂しい散歩をした:しとしとと霧雨が降る夜だった」という行の横には「なぜ辻馬車を呼ばないんだ?(why not call a cab?)」とある。

 英国が誇る稀代の大文人に向かって畏れ多いことを言いますけど,その,暇なんですか。なんだよ「フフー」って。なんだよ「なぜ辻馬車を呼ばないんだ?」って。さてはカーライル,テレビに向かってずっと喋っているタイプだな。それで家族に冷遇されてしまうタイプだな。ちょっと可哀想になってきた。

しかし想像してみてほしいのだが,この同じ書き込みを行ったのが我々であったらどうなるだろうか。たぶんそれは本の価値を著しく下げこそすれ(Amazonマーケットプレイスで「可」かそれよりも下のレベルまで),なんらプラスにはならないだろう。しかしこうした書き込みは,ひとえにそれをしたのが著名人であるということによって珍重され,前述の通りセナート・ハウス図書館に寄贈されたのちもそのままにされているばかりか,セナート・ハウス図書館のOPACで検索すらできるという。これを知った私はさっそく,試しにド・モルガンの書き込みを調べてみた。

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これ,画像の上の方をご覧いただけましたらおわかりの通り,何も高度な検索などしていない。ただキーワードに「de morgan note」と入れただけです。非常にアホみたいな検索です。でもほら,アホみたいな検索でここまでの情報が得られるということです。つまりOPACが単なるカタログとしてではなく,データベースとしても機能している。そうなるとまたここで日本のOPACに関する文句も言いたくなってきましたが,本題からそれるので今はやめておきましょう。セナート・ハウス図書館のOPAC,すごいなー,うらやましいなー,と書けばきっと十分でしょう。残念ながら私はセナート・ハウス図書館に行けないので現物を確認することはできないが,OPAC検索で簡単にヒットすることはわかった。

しかしこの章でも書かれている通り,こういうことまでもOPACで検索可能になることによって読書史の可能性は飛躍的に広がる。書き込みはもちろん,読書史においては大変貴重な史料なのだが(カーライルのそれのようにバカみたいなものであったとしても),そんなに体系的に見つかるものではないので,あったとしてもひとつひとつ虱潰しに探していくしかない。それはより一般的な読書史の史料―たとえば日記とか書簡とか―についても同じであって,普通は目を皿のようにして,舐めるように史料を読みながら"read"とかの言葉を探していくしかないのである(ちなみにこれは私が博論の第6章で,ある人の日記20年分について行ったことです)。つまりOPACの検索機能の向上はただ図書館利用を容易にするのみならず,学術的な可能性までも広げるのである。あとはもう,より多くの日記や書簡が電子化されて,より多くの史料に関して全文検索が可能になるよう祈るほかない(ただ電子化されたらより多くの研究者が用いるようになり,史料の希少価値が失われるのもまた事実なので,こればかりは両刃の剣なのだが)。まことにアターが書いている通り,テクノロジーの発展は読書史家にとって天恵であって,これからは図書館関係者と研究者が協働して成果を上げていかなければいけないのだなあと思う。

というわけで,私はやはり,どれほど「素人が何言ってんだ」「そんな機能すでにありますけど」という旨のそしりを受けようと,図書館利用者としてのみならず読書史家として,OPACのさらなる改良を訴え続けたい所存であります。あ,ちなみに,もともとのOPACに関する記事で述べていたメールマガジン(この文献紹介のとはまた別)の方でも,やはりOPACの件は書かせていただくことにしました。どうぞOPAC構築者の皆々様,大変なのは重々承知の上ですが,読書史家たちにお力をお貸しいただければ幸甚に存じます。

mephistopheles.hatenablog.com

ちなみに前作の記事はこちら。その節はブックマークならびにコメント,本当にありがとうございました。

*1:非常に訳しにくかったので誤訳等あるかもしれませんが。