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Sightseeing

最近不眠気味だったために,毎晩短編を1編ずつ読んで眠くなるのを待っていたことはすでに書いた。そのインソムニアック読書で用いていたのがこちら。今日読み終えた。

Sightseeing

Sightseeing

 

 夏の終わりごろ,バンコクに旅行した友人がこの本を旅のおともにしていたらしく,*1バンコクもこの本も絶賛していたので,いよいよ気になってたまらなくなったのだった。そもそも私は「英語で書く外国系作家」に弱いのだ。そしてAmazonのないこの国で,本屋に注文するという前近代的手段をとり,1週間ほどかけて手に入れたのだった。しかしその甲斐はあった。とても,とてもよかった。

まず,私は物語を書き出しで選ぶ傾向があるが,逆に物語の「終え方」が好きな作家というのは初めてかもしれない。どれもとてもいいのだが,特に印象的なのは"Farangs","At the Cafe Lovely","Priscilla the Cambodian",そして"Cockfighter"の4編だった。特に"Farangs","At the Cafe Lovely","Priscilla the Cambodian"の終わり方は,主人公たちが見ている風景が描かれながらそれは同時に心象風景でもあるようで,それが深い余韻を残す。"Cockfighter"はこの短編集の中では中編と言ってもいいくらいの長さなのだが,物語の進め方,そしてその終わり方はむしろ「長い短編」というような感じである。拙いタイ語で助けを求めてきたフィリピン人青年を乗せ,「行くよ」とつぶやいてマツダの軽トラのエンジンをかける女子高生。かっこいい!

それから,ほぼすべての作品に「他者」あるいはそれに準ずる存在が登場し,その描き方が非常に繊細なのもいい。"Farangs"は主人公自身もタイ人とアメリカ人のハーフであり,その不安定なアイデンティティが生かされている。"Priscilla the Cambodian"での「他者」はカンボジア難民の少女プリシラだが,物語の語り手が2人の子供で,しかも貧困層というところが非常にうまい。彼らはタイ人だが,見ようによってはこれも"Farangs"の主人公と同じく周縁の住人である。さらに,その「他者」にもさまざまなヴァリエーションがある。"Don't Let Me Die in This Place"の主人公である,半身不随になってしまったためにタイで生活している息子のもとへ身を寄せなければならなくなったアメリカ人の老人が最も「他者」らしい他者なのだが,逆に表題作"Sightseeing"は「外人(farangs)のように」タイを観光するタイ人親子の物語なので,対象と距離を取っている面ではこれも他者の物語と言えるだろう。それにこの物語では母親が失明間近であるとされているため,もうこの景色を見ることはないかもしれないという点で,観光客としての立場はより際立っている。また"Draft Day"には,中心的な人物ではないにせよ,徴兵の抽選を受けにくるニューハーフの少年がほぼ他者としての位置づけで描かれている。"Cockfighter"は一番難しいが,物語の最後で拍車をかける役割を負うフィリピン人のラモンだろうか。

こうした物語を紡ぐうえで,ラープチャルーンサップの筆致は淡々としていて,むしろ読みやすい。非常に叙情的で,ともすれば悲劇にすらなりかねないのだが,かといってお涙頂戴にならない物語は,下手な作為がない文章も手伝ってのことかもしれない。いろいろな理不尽が描かれていて,どれも救いはない。主人公たちもほとんどが貧しい人々である。しかし救いがなくても,貧しくても,生きていかなければならない。そして生きていくために,悲しんだり泣いたりしている暇はない。淡々としている中に,力強さも秘められている。

ただ,文章に作為がないといえども,その中にはやはり工夫が感じられるのがまた面白い。たとえば私はこの本を,順番通りにではなく表題作の"Sightseeing"から読んだのだが,この物語はすべて現在形で書かれている。最初とても違和感を感じながら読んだのだが,これはおそらく臨場感を演出する仕掛けではないかと後から気づいた。また,"Draft Day"はこの短編集の中ではいちばん「わかりやすい」物語かもしれないが,たとえばこれ,私だったらクリエイティブ・ライティングとか,逆にテキスト分析とかの教材にしたいような作品かもしれない。私は個人的に,この物語は予定調和が過ぎて説教じみてしまっていると感じたので,逆にウィチュに「黒いカード」を引かせて締めくくってもよかったのではないかと思った。ウィチュが徴兵されようとされまいと,主人公の罪悪感は変わりなかっただろうから。

Sightseeingを読むと,ガソリン,ジャスミン,糊,パッタイ,血と安物のウィスキーの香りを吸い込むようだ(To read Sightseeing is to inhale the smells of gasoline, jasmine, glue, pad thai, blood and cheap whiskey....)」とのアイリッシュ・イグザミナー紙による書評の一節が裏表紙に印刷されており,なんというオリエンタリズム溢れる書評かと思いながら本編を読んだが,あながち間違いでもない。ラープチャルーンサップの視線はいわば「メタ他者」のようであり,"Farangs"で見事に描かれている通り,そうしたオリエンタリズムをむしろ逆手に取っている。愛着と冷笑の綯い交ぜになった感情で自らの育った国を描くというのは,ジェイムズ・ジョイスを想起させるかもしれないし,ノスタルジックな雰囲気で「泣きそうなのに泣けない」感じはカズオ・イシグロに似ているかもしれない(個人的に最も「泣きそうなのに泣けな」くて苦しかったのは"Don't Let Me Die in This Place")。いろいろな作家を想起させつつ,しかし個性がある。本当に非凡な才能だと思うのだが,むしろこの短編集が非常に完成されているせいで,次作でこれを超えられなかったらどうしようとか,長編を書いたらそうでもなかったらどうしようとか,余計な心配すらしてしまう。裏を返せば,それほどよかった。

観光 (ハヤカワepi文庫)

観光 (ハヤカワepi文庫)

 

 翻訳も出ています。最初のイメージがこれだったので(日本のAmazonで調べたので),原著の表紙のファンキーさを目の当たりにした時は仰天し,本当に同じ本かどうか何度も調べた。どちらも豚ですが,ちゃんと意味があるんですよ。

*1:彼は旅行するとき,その場所にふさわしい本を持参するのだと言っていた。ニューヨークならポール・オースターとか。おっしゃれー