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「読書と人々」シリーズその7:選書はあなた方が思っているほど甘くないわよCCC

CCC*1が指定管理者をつとめる各地の公共図書館の運営上のスキャンダルが次々と明るみに出ている*2。まったくもって腹立たしい。私個人は武雄市にも海老名市にも小牧市にも何のゆかりもないのになぜ腹立たしいかというと,ひとつは私が公共図書館を愛しているからで,もうひとつは8月末に脱稿したWeb原稿に大幅に修正を加えなければならないからだ。

私は個人的に,公共図書館と商業施設のコラボレーションには大きな可能性があると考えている。これからの図書館は何にもまして,場所として魅力的でなければならないと思うからだ。図書館がただ本を無料で借りられて,さらに静かに読書するためだけの場所である時代はもう終わった。これは菅谷明子*3や猪谷千香*4らのジャーナリストによって叫ばれてきたことでもあると同時に,私も図書館史研究者の立場からそう思う。1850年ブリテン(当時の)で公共図書館法(Public Libraries Act)が成立し,公共図書館が建てられ始めるにあたって,図書館は純然たる読書の場であるべきで,それも高尚な図書だけを収集すべきだ(フィクションや新聞は図書館が収集すべきではない)という主流の論調に対して,アイルランドの司書たちは,そうではなくてまずは図書館を「魅力的」な場所にするのが先だと反駁した。労働者がしばしの間現実逃避できるような軽い読み物,ビジネスマンが使うような紳士録など,たとえそれが図書館の本来の目的からして「望ましくない」ものであっても積極的に収集して図書館に置いておけば,人はとりあえず図書館に足を運ぶようになる。時には図書館をレクリエーションの場として活用するのも構わないから,人々にはまず図書館に通う習慣をつけさせなければならない。そうすれば人々が図書館にある「望ましい」書籍に目をとめるようにもなるだろう,というのが彼らの考えであった。その直接的な結果かどうかはわからないが,本をまったく読まない野卑な人々と蔑まれていたアイルランド人は,今や驚くほどの読書家ばかりである。*5また今もアイルランドでは公共図書館が公民館のように使われており,言語交換会(Language exchange)や映画の上映会が定期的に開かれることで,市民にとって魅力的な場所であり続けている。

「魅力的な場としての図書館」が作られるべきだというのは,私の場合,こうした研究内容と実体験に基づいている。だから私はそのことも含めて,件のWeb原稿には公共図書館が変容していくことに関して割と好意的な文章を書いたのである。しかし,当たり前のことだが,図書館の基本的な機能を失っては本末転倒である。たとえば武雄市図書館に関しては,高すぎる書架とか,個人情報の件とか,いろいろなことに対してもはや理解不能なことが多すぎるが,*6中でも許せないのはCCCが図書館の最重要責務のひとつであるはずの選書すらなおざりにし,さらにその過ちを各所で繰り返しているということだ。

私の手元にダブリンの公共図書館委員会(Public Library Committee)1884年版の報告がある。それによると,「[ダブリンに新設される公共]図書館にもっともふさわしいと考えられる書籍を準備するにあたっては[公共図書館]委員会が十分な注意を払っております。あらゆる分野において突出した市民を招き,その専門知識に従って図書を推薦していただくことになっていますが,以下の方々が委員会に貴重な助言を与えてくださいます」という前置きのもとで,美術関係の書籍に関してはこの人,化学に関してはこの人,フィクションに関してはこの人,物理学に関してはこの人,などという具合に,実に16の分野に細分化されて専門家(あるいはそれに準ずる人物)が選出されて選書にあたっている。*7つまり公共図書館の黎明期から,選書というのはそれほどに神経を使う作業であったということである。さらに,このレポートはもうひとつ重要なことを教えてくれる。それはこの選書メンバーがレポートに掲載されているという事実そのものである。どういう人が選書にあたるかということがこうして市民の目の届く場所に公表されるということは,それが市民に対して責任を持って公表すべき事実と考えられていたと同時に,信頼のおける人間によって選書がなされているということが図書館の宣伝にもつながり得たのだろうと推察できる。先ほどCCCは各所で「過ちを繰り返している」と書いたが,おそらくそれは誤りで,正しくは選書などむしろどうでもいいと高をくくったのではないか。そこまで気にする市民などいないと。一部で言われている「TSUTAYAの在庫整理だったのではないか」という説に関しては,もうそこまで汚らわしいことが行われているとは考えたくないが,そうではないにしろCCCにとって,選書はそこまで注力する対象ではなかったということは明らかだろう。武雄市の事例に関しては反省文をHPに掲載していたようだが,なおも同様なことを海老名市においても繰り返しているあたり,何が問題だったのか全く理解しておらず,批判されたからとりあえず謝ったとしか考えられない。図書館における選書は,もちろん建前として,図書館の本来の目的を考える上で重要である。しかし結局,「あの図書館に行けばいい本がそろっている」ということが最も集客につながるのであって,CCCが本当にそこに気づいていないのだとしたら,それは図書館史に対する愚弄であると同時に,CCCに図書館運営のノウハウが全くないことの証左なのではないか。

こと地方において図書館は知の拠点であり,その運営がスキャンダルになるなど,自治体にとって恥さらし以外の何者でもない。これらのスキャンダルを受けてなお現在のCCCに指定管理者を依頼する自治体があるのなら(あるのだが),いやCCCが指定管理者に応募した時点で,住民はそれをただちに「図書館閉館のおしらせ」と受け取ったほうがよいのではないか。現状を見る限り,現在のCCCにまともな図書館の運営は期待できない。彼らにできることはTSUTAYAを作ることだけだ。小牧市の市民のみなさまは,住民投票にあたってよくよくお考えになったほうがよいだろう。そしてすでに「文化の敵」との汚名を着ているCCCは,少しは批判を重く受け止めた方がよい。仮にも「カルチュア・インフラを,つくっていくカンパニー」を名乗りたいのなら,これまでの路線は改めるべきだ。もしそうでないのなら,CCC(Culture Convenience Club)などという呼称は捨てて,LDC(Library Destruction Club)とでも名乗ったらどうか。

前にも書いた*8が,私の故郷である岡山県玉野市の市立図書館も,2017年にリニューアルオープンが予定されている。同時に指定管理者制度も導入されることになっており,TRCが指定管理者として運営することが決定している。もう今思うのは,とりあえずCCCでなくてよかったと,ただそれだけである。玉野市には(武雄市や海老名市の市民の方々には大変申し訳ないが)こうした悪しき先例からよくよく学んで,どうか同じ轍を踏むことがないよう,細心の注意を払っていただきたいと思う。ちなみに,玉野市の新図書館にも最近の流行をくんでブックカフェの設置が考案されていたのだが,最終案では「『市教委と施設外の特定カフェとの連携は好ましくない』との理由で[ブックカフェの]設置を見合わせた」*9とのことであった。私は個人的にブックカフェを楽しみにしていたのだが,現状を見る限りでは賢明な判断だったと言うほかないだろう。CCCが醜態をさらすせいで,こうして図書館の可能性がひとつひとつ閉ざされていくことが残念でならない。

*1:TSUTAYAの会社です。ご存知ない方もいらっしゃるかと思いますので一応。

*2:これらの記事を参照。

nukalumix.hateblo.jp

blogs.yahoo.co.jp

pochipochi1111.hatenablog.com

*3:

未来をつくる図書館―ニューヨークからの報告― (岩波新書)

未来をつくる図書館―ニューヨークからの報告― (岩波新書)

 

 

*4:

つながる図書館: コミュニティの核をめざす試み (ちくま新書)

つながる図書館: コミュニティの核をめざす試み (ちくま新書)

 

 

*5:このことに関して,詳しくはこちらに書きましたのでよろしければご覧ください。

mephistopheles.hatenablog.com

*6:なんでもこの「高すぎる書架」については「開架式閉架」と呼ばれているんだそうな。何言ってんの?

*7:そしてどの人物も,近代アイルランド史においてはかなりの有名人ばかりである。

*8:

mephistopheles.hatenablog.com

*9:山陽新聞玉野圏版9月15日