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Suffragette


Suffragette Official Trailer #1 (2015) - Carey Mulligan ...

10月に公開される映画のうち,もっとも楽しみにしていたのがこれ,キャリー・マリガン主演にヘレナ・ボナム=カーターやメリル・ストリープが助演で脇を固めるSuffragetteFacebook上ではアイルランド女性史協会の委員をつとめる友人が「金曜の夜,私たちと一緒に見に行きましょう」とイベントの告知をしていたのだが,女性史家たちと一緒にサフラジェット映画を見に行き,あまつさえそのあと語らうだなんてそんな恐ろしいフライデーナイトがあってたまるかと縮みあがったので,今日ひとりで見に行った。誤解のないように書いておくと,私も一応女性史家である。ただし,非常に気が小さい部類の。

勘違いされている例をよく見かけるので最初に明記したいのだが,「サフラジェット」とは20世紀初頭の婦人参政権運動の参加者で,それも戦闘的手段に訴えた人々のことである(これに対して,平和的な手段によるべきだと主張していた人たちは「サフラジスト(Suffragist)」と言う)。メリル・ストリープ演じるエメリン・パンクハーストをリーダー的存在とし,"Deeds not words(言葉でなく行為で示せ)"のスローガンのもと,ショーウィンドウを割るなどといった破壊活動を行うことで示威的に政治的主張を行った。年齢制限12Aだったので割と楽観していたのだが,凄惨な暴力シーンこそないとはいえ,警官隊に蹴散らされるシーンやら強制食餌(force feeding)のシーンなどはなかなか堪えるものがあり,見終わってげっそりと疲れた。

にわか女性史家としては,全体的にとてもよくまとまっていたし,ひとつひとつのシーンに象徴的な意味があって,婦人参政権運動史をコンパクトに学ぶことができるという点に満足した。将来,授業で非常に使える映画になるであろうことは間違いない。特に,この映画ではエミリー・デイヴィソンの死も取り上げられているのだが,事故なのかそれとも抗議の自殺なのかはっきりわかっていない彼女の死をきちんとその通り描いていたのには感動した。エミリーはパンクハースト夫人の言葉である"Never surrender, never give up the fight(絶対に屈しないで,絶対に闘いをやめないで)"という言葉を言い残してダービー競馬のレーストラックへと入っていくのだ。つまり,この言葉が決意表明にも遺言にもとれるのである。素晴らしい。他にも,それこそ前述のハンストとそれに伴う強制食餌やら,サフラジェットたちが護身術として柔術を習うところ*1などがきちんと描写されており,そうそうそれそれ!と快哉を叫びたくなるところがとても多かった。

しかしその一方で,ここはもう少しきちんと掘り下げてほしかったと思うところが一点あった。そしてそれは私の歴史研究の根本姿勢にも関わる点だったので,ここできちんとまとめておこうと思う次第である。それはつまり,なぜワーキングクラスのモード(キャリー・マリガン)が「過激」な政治活動に身を投じるのかということだ。

この映画の主人公であるモードは洗濯工場(laundry)で働く女工で,夫のソニーもまたこの工場で働いている。ある日モードはクリーニング済みの洗濯物を配達しにいく道中で,サフラジェットたちがショーウィンドウを割りながら「女性に投票権を(Votes for women)」と叫ぶ場面に遭遇する。その中には工場の同僚であるヴァイオレット(アンヌ・マリー・ダフ)の姿があった。活動家であるヴァイオレットはモードを集会に誘うようになる。ある日ウェストミンスターで開かれる婦人参政権運動についての公聴会に職場から代表1名を送ることになり,モードは代表のヴァイオレットに同行することにするが,当日ヴァイオレットは夫に受けた暴力がもとで人前で話せる状態ではなくなり,急遽モードが代役をつとめることになる。ロイド=ジョージをはじめとする閣僚たちはモードの言葉に真摯に耳を傾ける風を装うが,公聴会の結果は「却下」であった。これがモードを活動に参加させるきっかけとなった出来事である。

しかし,政治的であれ文化的であれ,なにか運動に身を投じるのは圧倒的にミドルクラス以上の階級の人々が多い。たとえばこの映画ではヘレナ・ボナム=カーターが演じていたイーディス・ニューがその典型である。ニュー本人は教師だったのだが,*2この映画では医師の資格を持ち,夫とともに薬局を経営している設定になっている。彼女はロンドン大学で医学を修めている(壁に卒業証書がかかっている)が,ロンドン大学医学部は20世紀初頭,はじめて女性に門戸を開き,さらに学位取得を認めた数少ない高等教育機関のひとつである。つまり彼女は当時のイングランドで望みうる最も高度な教育を受け,さらにその過程で経験した様々な不平等から,女性の地位の低さを身をもって知ったことによって政治活動に身を投じるようになった人物である,と察することができる。また,一瞬しか出てこないがパンクハースト夫人も同じであり,さらに彼女らの政治活動に協力的な夫がいる(いた)というところまで共通している。つまり,これらの女性たちは,金銭的にもまた精神的にも,政治活動を行う「余裕がある」人々なのである。しかしモードやヴァイオレットは違う。このレビューに詳しいが,モードやヴァイオレットは家事使用人を持たない身分なので,何よりも妻として母として家族の面倒を見なければならない。モードは夫と息子が1人いるだけなのでまだいいが,ヴァイオレットには何人も子供がいて,さらに夫には暴力を振るわれている。こんな状況で,政治活動に身を投じようと思うだろうか?もし思うのだとしたら,ただ「それが善いことだから」という理由だけで運動に参加するだろうか?

もちろんモードやヴァイオレットがワーキングクラスであるということは,この映画で非常に重要な意味を持っている。それは彼女らの置かれた状況が,そのまま当時の女性の置かれた隷属的な状況を象徴しうるということである。彼女らは劣悪な労働環境で,男性に比べて不公平な労働条件で*3働かざるを得ず,さらにそこでは卑劣な工場長(監督?)から日常的にセクハラを受けており,家庭では家族の面倒を見る役割を一身に背負う。また夫との間に問題が生じた時,子供の親権は父親にあるので一切子供とは関われなくなる。その上,それこそブルデューの「再生産」の話になるが,モードの母も同じ洗濯工場で働いていて大やけどを負って亡くなったという話があったり,さらにヴァイオレットの娘マギーも同じ洗濯工場で働いていたりと,どれほど悪い環境であろうと,基本的に,それも何世代にもわたって,抜け出すことはできないのである。しかし,悲しいことではあるが,人は麻痺するものである。そういう状況に生まれ,そういう状況で生活してきた時間が長ければ長いほど,その状況を疑問視することもなくなり,こういうものだとあきらめて生きていくようになるものである。それどころかヴァイオレットなど,政治活動への参加が家庭内の暴君である夫の機嫌を損ね,暴力を振るわれる可能性すらあるのだ。しかも,少なくともモードは読み書きに支障がないという設定だったが,*4もしかして識字率も低いのではないだろうか。つまり何が言いたいかというと,モードやヴァイオレットは本来ならこうした運動から最も遠いはずの人々であり,*5こうした人々が運動に身を投じるには人一倍の理由が必要であるはずなのだ。せっかく映画の冒頭,「これは婦人参政権運動に身を投じたワーキングクラス女性たちの物語である」とテロップを出すのであれば,階級とモチベーションの問題をもっと掘り下げてほしいものであった。

私はこの「そもそもなぜ人々は運動にかかわるのか」という疑問から生じたテーマによって博論を書いている。人々が何か物事を始める時,そこには「それが善いことだから」だけではない理由があるはずである。その問題を等閑視して,「善い方向に物事が進むのは当然なのだ」という前提のもとで歴史を解釈するのは,いわゆる発展史観的(近現代イギリス史的には「ホイッグ史観的」)な解釈であって,独善的になりうるので注意が必要である。女性史の叙述にも同じことが言えて,「男性優位社会との果敢な闘争」の結果「あるべき男女平等の世界」へと「必然的に」歴史が動いていくと解釈する傾向はしばしば見られるのではないかというのが私の印象である。それはやはり,早いうちに見直されなければならないのではないだろうか。

そういうわけで,これまであまり取り上げられてこなかった,"Unsung heroines"としてのワーキングクラス女性にスポットを当てたという点はこの作品が達成した偉業のひとつであるが,同時に女性史叙述の上での課題も明らかになった,ということだろうか。しかし,それこそが優れた作品の証左であると考えられなくもない。そもそも,私自身これまでさまざまなところで述べてきたが,*6ワーキングクラスの存在は歴史家にとって,女性史家にとってはなおさら,鬼門なのである。なぜなら彼らは私的な記録を残してくれないからだ。私もその「史料的制約」を言い訳にして逃げてきた感がある。歴史家として人生を歩むのであれば,ワーキングクラスの存在はいずれ,絶対に無視できないものとして直面することになるだろう。この映画はそのアラームであったということかもしれない。実はこの日記を書く前,こっそり論文の1本や2本読んで知ったかぶりをしようと思い,論文データベースで「working class suffragette」などで調べてみたのだが,良い検索結果は得られなかった。やはりワーキングクラスは鬼門ということか。

ところで,最後に疑問なのだが,これ,日本での公開予定はあるのでしょうかね。もし公開されないとしたら,こっちにいて本当によかった。

*1:これなんか比較的近年の研究結果であるように思うが,よくぞまあ反映したものだと驚いた。

*2:ちなみに女性教師とサフラジェットの親和性については,この間新刊紹介を書いたこちらの本に詳しいのでぜひどうぞ。先日も申しました通り,紹介記事は11月発刊の『女性とジェンダーの歴史』に掲載していただく予定です。 

In Search of the New Woman: Middle-Class Women and Work in Britain 1870?1914

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*3:公聴会でモードは「女性は週13シリング,男性は週19シリング」と述べていたが,これは現在の通貨価値に換算して女性は週約5000円,男性は週約8000円である。ちなみに通貨価値の換算にはこちらの英国国立文書館HPにあるCurrency Converterが非常に有用です。

*4:劇中,刑事に手紙を書いていたり,エミリー・デイヴィソンから贈られた本を読んだりしていた。

*5:トムスンが『イングランド労働者階級の形成』で描いたワーキングクラス像と異なり,むしろワーキングクラスの人々は政治的に保守的である例も多く,しばしば保守主義者に取り込まれたという研究結果もある。詳しくはこちらを参照。日本のネトウヨやドイツのネオナチとかにもほぼ同じことが言える。

プリムローズ・リーグの時代―世紀転換期イギリスの保守主義

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*6:たとえばここ