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ショパンコンクール2015・男性出場者の上着の取り扱い方(番外編)

さて,昨日ショパンコンクールが終わった。まともに追っていたのは三次予選からだったとはいえ,予想以上に面白かったし,それなりの期間ずっと見ていたし,早くもロス気味である。

ところで聡明なる読者のみなさまにおかれましては,ピアノ演奏にはまた違った角度からの楽しみ方があるのはご存知だろうか。そう,男性ピアニストがピアノ演奏に備え,上着のボタンをはずす瞬間である。さらにそのあと上着の裾を後ろに流し,協奏曲の場合には準備が整ったところで指揮者にアイコンタクトをしてゴーサインを出す,その一連の流れも見逃すわけにはいかない。この動きは,まるで映画の上映が始まる瞬間のようで,緊張と期待が高まると同時に,単純に男性ピアニストが非常に格好良い瞬間なのです。私は今日,来週の授業に備えて論文を3本,総計100ページ近く読んで,しかもそのテーマもアイルランドにおけるジャガイモ飢饉と非常に重いものだったので,身体的にも精神的にも疲労困憊している。1日分の理性,いや3日分くらいの理性を使い果たした。とてもじゃないが,まともなことを書く力は残されていない。そういうわけで,今日は今回のショパンコンクール,本選における男性出場者たちに着目し,彼らの上着の取り扱い方がいかなるものであったかを勝手に総評してみようという試みである。

1. チョ・ソンジン

Seong-Jin Cho – Piano Concerto in E minor Op. 11 ...

押しも押されぬ今回の覇者,チョ・ソンジンしかしカメラが遠いわ!というわけで今回は残念ながら判定不能です。でも,君は1位も取ったしポロネーズ賞も取ったし,この上「ボタンはずし・裾の始末・指揮者へのゴーサイン賞」はいらないでしょう。

2. アリョーサ・ユリニッチ

Aljoša Jurinić – Piano Concerto in E minor Op. 11 ...

本命の1人,ユリニッチ。今回もチョ・ソンジンと同じく少しカメラワークが遠めのスタートですが,だんだん近づいてくれるので見えます。すると,おお,ピアノに左手をついてお辞儀をするという必殺技をいきなり使ってくださった上に,聴衆に向かったままそのピアノについていた左手でさっとボタンをはずすという優雅の極み。君はショパンか!ショパンなのか!残念ながら裾の始末は遠くて見えませんが,指揮者へのコンタクトは満面の笑み。好青年ですなあ。

3. エリック・ルー


Eric Lu – Piano Concerto in E minor Op. 11 (final ...

長身だからかもしれないが,彼は猫背です。ひたすらに猫背です。そしてルーくん,君,なぜ椅子の後ろでお辞儀をなさる。ボタンは最後の最後にはずし,裾は特に直さず,ハンカチで手を拭きながら指揮者に弱弱しく微笑みかけてゴーサインを出す。えっ,本当にもう大丈夫?と思ったのは私だけではあるまい。しかし若くてもそこはもうプロなので,そのあとハンカチをピアノに放り込んで完璧に間に合わせたのだが,本当に彼は不思議な方だ。

4. シモン・ネーリング


Szymon Nehring – Piano Concerto in E minor Op. 11 ...

ボタンをはずした瞬間はよく映っていませんでしたが(おそらくピアノに向かっていくところでさっとはずしたと思われます),そのあとチーフを内ポケットにしまってからその流れで裾を後ろに投げる,その流れが非常にエレガントです。さらに指揮者へのコンタクトに際してはあまり表情を変えず,アイコンタクトだけでゴーサインを出すスタイル。ネーリングの実直さがうかがえるようです。

5. ゲオルギ・オソキンス


Georgijs Osokins – Piano Concerto in E minor Op. 11 ...

さあ来ました大本命のひとり,ラトビアの魔術師オソキンス。風貌からしてもはや現代によみがえったフランツ・リストのようです(でもたぶんちょっと意識してるよね?)。そしてボタンのはずし方,彼もネーリングと同じくお辞儀をしてからピアノに向かう瞬間にボタンをはずす流儀の方ですが,その時一緒に裾もさっと後ろへ投げるのですね。この一連の流れはもはや名人芸。さらに椅子に座ってからもう一度裾を後ろへ流すのですが,この時少しのけぞり気味なのも長身の彼ならではです。指揮者へのコンタクトは微笑みかけるスタイル。それはそうとして,その時に目をつぶるのはただの瞬きなのか,それともまさかウィンクか!? ラトビア,なんて空恐ろしい国なのかしら……!

6. シャルル・リシャール・アムラン


Charles Richard-Hamelin – Piano Concerto in F ...

アムラーン!アムラーン!大好きなアムランは愛称「クマさん」らしいのですが,その理由はもはや一目見れば明白です。そして彼は最初からボタンを付けずに登場するスタイル。裾も特に長くない普通のスーツ型なので,後ろに流すこともなく,座ったら椅子を調節するだけです。しかしもう椅子の上の彼はハンプティ・ダンプティみたいで本当にカワイイ。しかも座って指揮者にサインを出して(残念なことに背中しか見えません)から,少し手持ち無沙汰そうにしているのもまたカワイイ。というわけで,ボタンは最初からつけていない,裾も直さない,指揮者へのアイコンタクトは見えない,で本来ならば失格なのですが,とにかく彼が好きなので登場させました。それだけです。

7. ディミトリ・シシキン


Dmitry Shishkin – Piano Concerto in E minor Op. 11 ...

こちらも大本命,ロシアのツァーリ,シシキン閣下。個人的に彼には「ベスト衣装賞・男性部門」を差し上げたい。このスーツ素敵ですよね。

そして彼もまたお辞儀からピアノに向かう流れの中でボタンをはずすスタイルなのですが,おっと,この方もユリニッチと同じく,片手しかもサウスポーです!ハラショー!その流れで裾を後ろへ流すあたりはオソキンスと同じですね。そして椅子の調節が終わったら指揮者にゴーサインを出すのですが,彼もまた軽く微笑みかけます。私が指揮者としてオケを指揮することは,ピアニストとして協奏曲を弾くこと以上にありえないことですが,私は彼らのアイコンタクトだけで指揮台に卒倒し,副指揮者に代打を頼むことになるでしょう。そして副指揮者が喝采を浴びて世界にその名を轟かせるきっかけとなるのです。老兵は死なず,ただ去りゆくのみ。

8. トニー・ヤン


Yike (Tony) Yang – Piano Concerto in E minor Op ...

最後は弱冠17歳のヤン。正直言って,私は彼にあまり期待しておりませんでした。若いし,そうでなくてもアジア系で幼く見えるのもあってもうなんか中高のコンクールに迷い込んだようだし(17歳だからそれはそうなのだが),大きな見せ場である(そんなことありません)ボタンはずしももたもたしているし,そのあとの裾の扱いもなんだかあたふたしている。ヤンの準備を待つ指揮者カスプチェックはもう,孫を見守るおじいちゃんのような慈愛のこもった表情です。

ところが!このあとの指揮者へのアイコンタクトが素晴らしい。彼もまた微笑みかけるスタイルなのですが,もうその軽い微笑みに,そしてその一瞬の微笑みのあと真剣な表情に変わるところに,若い彼の闘志が現れている。一説によれば,彼はまさか自分がファイナルへ進むとは思っておらず,協奏曲はあまり練習できていなかったとか。登場シーンは少しおどおどして見えるのはその一抹の不安のせいなのでしょうか。しかし椅子に座って,良い意味で開き直ったのかもしれません。今回の入賞はその精神力を買われてのものかも。いやー,私は彼が本選へ進むとは思っていなかったし,このボタンはずし・裾の始末・指揮者へのゴーサイン選手権でも彼が好成績をおさめるとは思っていなかったし,彼に対しては失礼なことばかりしています。心を入れ替え,今後の演奏活動はぜひとも,しっかりチェックさせていただきます。

というわけで,本選に出場した男性ピアニスト8名の上着の取り扱い方を勝手に解説してきましたが,みなさまお楽しみいただけましたでしょうか。せっかくのショパンコンクールイヤー,これから各地でピアノの演奏会が(リサイタルもコンチェルトも含め)開催されることかと存じます。特に今回のコンテスタントは今後頻繁に日本を訪れるでしょう(すでにチョ・ソンジンの演奏会は何件も決定しています)。男性ピアニストの演奏を鑑賞なさる際には,彼らの演奏はもちろんですが,ぜひボタンのはずし方,裾の取り扱い,それに協奏曲の場合には指揮者へのゴーサインの出し方にも注目していただければと存じます。