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Brooklyn

11月公開の映画も割と豊作。今年は当たり年かもしれない。手始めにこちら,先日まで原作を読んでいたBrooklyn


BROOKLYN: Official HD Trailer - YouTube

 移民はアイルランド史,とりわけ近現代史における宿痾のようなものである。しかしこの物語に出てくる1950年代の移民と19世紀のそれとの決定的な違いは,移民に「選択肢」があるということだろう。つまり,19世紀の移民は文字通りの「移民」であって,行ったら最後,帰ってくることは到底望めないものである。しかしこの映画で描かれる半分「出稼ぎ」のような移民には,このままアメリカに腰を落ち着けるのか,それとも落ち着いたら帰ってくるのかの選択肢がある。

そしてこれはまた,移民する人間の階級によっても大きく違うだろう。たとえば同じ1940~50年代の移民を描いた『アンジェラの灰』のマコート家が最底辺の暮らしをしているのに対し,この物語の主人公であるエーリッシュは父を亡くしてはいるけれども,母と姉と3人で,まあまあ「リスペクタブル」な暮らしをすることができている(下層中流階級というくらいのレベルか)。つまり,最初のアメリカ行きこそ,舞台となるエニスコーシーではどうしても就職のあてがないためのやむにやまれぬものではあったが,かといってアイルランドではどうしても暮らしていかれないかと言われれば,そうでもない。

こうした選択肢は物語の最初,(映画ではほぼ省略されていたが)エーリッシュとローズの姉妹の対比によって描かれている。内気で地味なエーリッシュと違い,ローズは美人で華やかで何人もボーイフレンドがいる。つまり,ローズの方が大都会ニューヨークに「適している」ことはだれの目からも明らかなのだが,ローズは一応エニスコーシーで仕事をしているため,日曜に近所の商店を数時間手伝うくらいしか仕事のないエーリッシュが渡米する方が現実的なのである。しかしそれは同時に,ローズがこの先結婚することを諦めてずっと母親と2人で暮らすことを意味する。選択肢を得ることは,時にほかの選択肢を犠牲にすることであり,しかもそれは自分の選択肢であるとは限らない,ということについてアイルランド人作家の眼差しはとても厳しい。

そして選択肢をひとつ得たら,芋づる式に選択肢は増えていくものである。アメリカ行きはエーリッシュに様々なチャンスをもたらす。ブルックリン・カレッジで簿記講座を受講して資格を得る。ダンスホールで彼氏ができる。しかし選択肢が増えるということは,今までになかった悩みも増えるということでもある。ある出来事をきっかけにアイルランドに一時帰国(それが可能であるということがこの物語の新鮮さでもある)したエーリッシュは,それらの選択肢を前にまた悩み,決断を迫られることになる。ただし,今度は前回と違って,やむにやまれぬ決断ではなく,完全に自分の意思によって。

翻って,もう30年になろうとする自分の人生にも思いを馳せてみた。思えばこれまで,複数の選択肢を持っておくということは私の最重要優先事項であった。いろいろなことに真面目に取り組んできたのはそのためでもある。中学までは,ピアノで音大を目指すか,普通の大学に行くかという選択肢があった。結局ピアノは趣味として続けることにして,普通科高校に進んだが,志望大学の選択の幅を広げるために進学校を選んだし,高校在学中は勉強をがんばった。大学に東大を選んだのは,それが私の選択肢の中で最高の選択であるように思えたのもあるが,それ以上に入学時に専攻を確定しなくてよいというのは大きな魅力であった。

しかし,選択肢が多かったこの人生だが,30歳になろうとする今気づいてみると,もうそんなに選択肢は残されていない。まず当たり前だが,文系の博士号取得者に,普通の就職はほぼ望めない。就職先の大学にも,駆け出しの研究者に選択権はない。30近くまで呑気に過ごしてきたから,もしかしたら結婚や出産という選択肢もないかもしれない。本当に,新たな選択肢を得るということは,それまで当たり前に持っていた別の選択肢を手放すということだったのだろうと思う。それが幸せなことだったのかどうかは,もう少し経ってみないとわからないだろう。しかしすべての岐路において,私は自分で決めて道を選択してきたし,どの選択にも後悔はしていない。今エーリッシュが生きているとしたら70代か80代。彼女は幸せだろうか。そんなことをぼんやり考えた。