読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ピア・レビュー再開

夕方,メアリーと待ち合わせて,コーヒーを飲みながらお互いの原稿にコメントをつけあうという楽しい会を行った。

もともとこうした会は,とにかく書く習慣を付けようという目標のもと,同期院生を中心に数人で集まり,writing circleと銘打って2年くらい前に行っていた。しかしやはり,人数が多くなってくるとこういうのは途絶えがちになるもので,コンスタントに毎月5000~6000語の下書きをみんなで見せ合っていたものの,休暇やら何やらをはさんだりで数か月で止まってしまった。私にとってはとても有意義な会だったので残念に思っていたのだが,私もメアリーも来年の提出を目指していることだしと,私から言い出して2人でやることにしたのだった。

メアリーの原稿は19世紀前半アイルランドでの子供の「衣服」を題材に,そこに表れるジェンダー性,階級性などを分析するもので,読んでいてものすごく面白かった。私などが何を言えるような余地もないほど素晴らしかったが,「完璧だった」ではピア・レビューの意味がないので,なんとかかんとか改善点を数点ひねり出した。「ブルデューには言及されてるけどアリエスについて何も書かれてないのはいいの?」とか。なかなか苦し紛れではある。対して私の原稿はダブリンの図書館の変遷と,そこを女性たちがどのように利用していたかについて分析するものだったが,メアリーのコメントはどれもとても的を射ていたし,なにより過剰な記述をばっさり削ってくれるのは本当にありがたかった。投稿論文なので字数制限があるのだが,自分で調べて書いたこととなるとどの記述にも愛着があってなかなか削れず,困っていたのだった。文章を人に見てもらう利点は,足りない視点や論理飛躍に気づくだけではなくて,こういうところにもある。論文は何を書くかよりも,何を書かないかのほうが重要なのだというのは日本で聞いたことだが。

しかし,ひさしぶりにこういう会を持ったが,メアリーの原稿も私の原稿も,2年前より格段に専門性が高くなっていたのに驚いた。いや,当然のことではあるのだが。文系の研究者は博士を出るまでに時間がかかる分,博士課程在学中からすでにそのテーマの専門家でもある。私はまだまだ疑いなく学生の身分だが,研究の本場に留学して専門家同士で議論をすることができるなんて幸せだ,とメアリーと別れてから我が身の幸福を噛みしめた。これからもぜひ,定期的にやりたいものである。

金曜の夜はライフルの練習に行って,そのあと社交ダンスの練習に参加して帰るのが常なのだが(ダンスにも結局ほぼ毎週行っている),数日前から少し喉の調子がおかしいので,今日はライフルだけにした。先週のパソ・ドブレがとても楽しかったので,今週も参加したかったのはやまやまなのだが。夜も更けてきたので,これから同居人とホットウィスキーを楽しんでから寝ます。